2004年5月
寿命
ゆうべルーンにきいてみた、気になることを。
「人との付き合いが
短く終わってしまっても悲しむことはありません。
その付き合いの寿命を全うしただけなのです」
そうか。 もうこのまま二度と会えないのかもなぁ。
とっさにふたりの人の顔が浮かんだ。
ひとりは…なんだかもういいやと納得した。
潔く受け入れよう。
だけどあの人は。
あの人と二度と会えないなんて。
いやだ。 絶対にいやだ。 いやです。
最強コンビ 復活!
ああ。三年ぶりに私の現場のアシストを
してもらうことに!そう!ム-チョに!
明日からのロケは私にとって大きな大きな仕事。
ときどきどうして
自分のチカラ以上の仕事が来たりするのかな
と思うけど、大丈夫。
ちゃんとこうして強力な助っ人がやってくる。
私の持つ運だ。(笑)
感謝して、思いきり撮ろう!
さて、ふたりは打ち合わせ、打ち合わせ。
渋谷のエクセル東急ホテルのカフェでブランチ。
私の撮りたいこと、心の中を全部説明した。
明日、ロケバスが早く迎えにくるので
今夜ム-チョは前のりでうちにお泊まり。
機材の準備もふたりで念入りにチェック!
頑張れよ!おまえら!と
師匠がパスタを作ってくれた。
ふたりでありがたくいただく。
ム-チョとごはん。 うれしい。
アシスタントとのこんな時間を
私は何より大切にする。
同じ空間を共有して
おいしいものを一緒に食べて
写真やその他いろんなことの話をして。
シャッターをきる、その瞬間までを
こうしてふたりでコツコツつくりあげていく。
尊い共同作業だ。
明日は満月。
どんな写真との出逢いが待ってるんだろう。
わくわくする夜。
どきどきする夜。
PCの手を止め、ふと見上げた窓に
鏡のような月。
ああ。私の撮影はもう始まってる。 心の中。
ふと心に浮かぶは…
撮影のあと、ホテルの部屋に戻り
しばしぼんやり。
夜景がきれい。
あのひとはげんきにしてるんだろうか。
私にできること
いとこが入院。
何度見てもせつなくなる。
こんな光景。
お父さんの時も。
お母さんの時も。
妹の時も。
だから看病、毎日。
早く良くなれよと祈りながら。
自分のチカラを使う。
初体験
今まで、
自分の撮ったものを見てあとから泣く、ということはあった。
何度か。
でも撮影中にファインダー見たまま泣いたのは
これがはじめて。
ついには声をかけることも出来なくなり
部屋の中に響くはシャッターの音だけ。
見れば不二子の目にも涙。
ふたり感極まった瞬間。
こんなこと、こんなこと、こんなことってあるんだ。
頂点を経験したような…気がする…あれは…。
セックスで「イク」って表現があるよな。
あれを身体の話とするなら
私が経験したのは魂の話。
魂がイッタ瞬間。
私は被写体とセックスしたんだと思う。 とうとう。
今回の仕事
まだ詳しい発表はできませんが
とてもいい仕事をしました。
最高のものを生み出せたと思っています。
自己新記録です。
たくさんのことに感謝です。
スタッフのみなさん、不二子、
ロケ中ずっと私を支え続けてくれたム-チョのチカラに。
これまで私のところにやってきたいいこともわるいことも
すべての出来事に感謝します。
どれひとつ欠けても今のこの私にはならなかったので。
こういう写真を撮ることができた
今の自分に誇りを持とうと思います。
屋久島以来苦しい事が続きました。
大切に思っていた人が急にいなくなったりして
自信を失いかけ、とても怖い思いもしました。
でも、もうだいじょうぶです。
私の中心が熱を持ってきました。
チカラがみなぎるこの感じ。
集中力が増す気持ち良さ。
「始まる」前独特の、落ち着きのない、確かさ。
光りの国まで、もうしばらくです。
今日のやりとり
ム 『「キャシャーン」を観てきました。
わたしの中のどこかが強く反応したのか、
訳も分からずぼろぼろ泣けて泣けてしょうがなかったんです。
この映画が何を表現したかったとか、
そういうものはもうどうでもよくなって、それでもわたしは
監督の表現したいことに感応し辿り着けたような気がします。
苺さんとこに帰れてあのロケから戻って、
こうしてわたしの中で変化がふつふつと
静かにゆっくり起こっているようです。』
苺 『それが「感じる」ということだよ!
できてる、できてる。 変化の時がやってきたんだよ。
怖がらずに進みなさい。 自分を信じて。
ム-チョは開き始めたんだよ。
今まで閉じていた何かが動きだしたんだよ。
なんていうか、こう…気持ちいいでしょ?
すべてに向かって開かれてる感じって。
可能性に向かって自分がまっすぐに立ってる気がしませんか?』
最近テレビCFで木村拓也さんがやってる「開いてる人」と「閉じてる人」
あれの、閉じてる自分も嫌いじゃないっていうところ。
私も閉じる時あるし、それも含めて自分なんだけど、確かに。
でもあれを見た人達が「あ、閉じるっていいんだ」とか
かっこいいとか思ったりしないか、ちょっと怖い。
一度でも開いた気持ち良さを知ってる人なら分かるだろう。
そりゃ、開いてるほうがいいに決まってんじゃん。
あの、すべてとつながる感じ。
自分は宇宙の一部なんだと実感する、あの恍惚感。多幸感。
閉じる時があってもいい。ていうか必要な時もある。
でもそんな時でも心はいつも「開いてる自分」を目指していたい。
あせったり責めたりする必要はないけど
閉じてる事に、冷静にダメ出しできる自分でいたい。
開けないでいる自分を正当化する事だけはやめようと思う。
正しい自己嫌悪は必要だ。
それが人生の軌道修正となるのだから。
ま、何が言いたいかって、つまりあのCF。
木村さんにあんな事言わせちゃったっていうとこが最大の罪かも。
砂糖菓子並みの甘さを心に塗りたくった
人生の怠け者人口が一気に増えたはず。
開いてる人 閉じてる人
よ~く考えてみたら
実は自分は相当閉じてる人間なんじゃないかと
ふと心配になって師匠に聞いてみたところ
「いやぁ、あなたは開きっぱなしでしょう」
と言われた。
……ぱなし…。(笑)
なるほど。それで日々いろんなことが入ってくるんだな。
私は外からの影響を受けることを怖がらない。
なぜなら受けたくない影響は
徹底的に遮断する事ができるから。
イヤだと思うことに対して瞬時に閉じる技を持っているので
普段開きっぱなしで生きていけるんだろう。
じゃあ閉じてる人って、
世の中のイヤな事からパッと身を守る技を持たない
不器用な人だったりして。
今まで会ったなかでひとりだけ知ってる、閉じてる人。
その人は普段開いてるふりが完璧にうまい人だった。
「開いてる人」の仮面をかぶりながら実は完全に閉じていた。
しばらく観察した後、すぐその事に気付いた私。
あの人からすれば、開きっぱなしの私の言動とか
仮面の下の素顔を見抜かれた事に対して
大変な恐怖心を覚えたことだろう。 逃げてった。(笑)
悪かったなと思う、怖がらせて。
でも。閉じてることを悟らせないよう
開いてる「ふり」をするのは何故だったんだろう?
「ふり」するくらいなら開きゃいいのに。
いやいや、「ふり」するのが好きだったのかも。
人生いろいろ。
どこに楽しみを見い出すかは人それぞれだ。
今の私の目標は、
イヤな事に対しても常に開いてられる心の強さを持つこと。
なんつって。それがなかなかできないけど。
プリント
さて。 今日から暗室にこもる。
プリントしながら思うのは
か、か、かわいすぎるぅ…
すみません…一般の方にはここまでしか
今のところお見せすることができません。
ああ。世間に早く発表したい。
それにしても。
どうして世の中にこぉんなかわいい生き物が
いるんだろう…
さらに思うのは
あ~ん。ほんとにほんとにすみませぇん。
早くお見せすることができなくて。
もうちょっと待ってください。
ああ。かわいいですよぉ。
さ。男性の方。
用意(よ、ようい?いったいなんのっ?笑)は
いいですかぁ?
さらにさらに思うのは
いいえ。いいえ。
男性諸君のためだけではありません!
女性のみなさぁん!
よぉくよぉくよおっく見てください!
女の美しさって
こういうことだと思いませんか?
…って、まだこれじゃわかんないですよねぇ。
待って!待って! 発表までお楽しみに!
サボテン
名前は北島サボちゃん。
赤い花を咲かせる大きい方が「北島」
白い花を咲かせる小さい方が「サボちゃん」
ふたりはコンビを組んでます。
なぜかというと
たぶんサボちゃんは私を嫌いだから。
私は植物を育てられない。
買っても今までにたくさん殺してきた。
それがサボちゃんにはわかるんだろう。
買う時「いやぁ」という気を出したから
隣りにいた大きい仲間と一緒ならいいでしょ
怖くないでしょ、と無理に連れてきたのでした。
さて、そのサボちゃんの方ですが
夜寝る不思議なかわいさ。
花が閉じるんです。
朝起きるとまた開いてる…おおぉ!?
か、か、かわいすぎるぅぅぅ♪♪♪
毎日話しかけてるので
今少しづつ心が通い始めたところ。
たのしい…
長い時間をかけて丁寧に相手と接するという事を
サボテンから教わるなんて。
びっくりだ。
人が相手だとなかなかできない事だったのに。
(私は急激に人を好きになったり
嫌いになったりするタイプ)
地雷
私は自分のなかに地雷を持っていて
それを踏まれると大爆発を起こす。
その地雷がどこにあるのか、とか
どういう加減でそんなことになるのか、とか
自分でもかいもく見当つかず。 おそろしい。
私と長く付き合うには
地雷を踏まぬよう細心の注意をはらうか
それか、まったく気にしないか。
たとえ目の前で爆発が起きようとも。
さて、ゆうべのこと。
もう何年も長く付き合ってる友人が地雷を踏んだ。
あ、また踏んだ、という事にハッと気付いた様子。
が、時すでに遅し。
すぐさまその場の空気は重く暗く。
でもそんな中、発見が。
「まぁ、手加減してやれよ。かわいそうじゃないか」
という声が心の中に響いた。
え?と思ったけど、あれは?
あの声はいったいどこから? だれの? なんのために?
爆発しそびれて、ひとり驚くわたし。
チョコレート
機嫌の悪い時。
チョコレートを食べる。
そうすると幸せになる。
私は食いしん坊。
おいしいもの好き。
ほとんど1日中
次に食べる食べ物のことを考えてる。
もうあの人には会わないっ!二度と!
…とか思っていても
「焼肉行こうか」なんて言われると
「うん!」と言っちゃう、そんな私だ。
食べ物に弱い。
おいしいものですべてを水に流せる。
…簡単な私だ。
激情にまかせるまま怒りまくり状態の中
おいしい和菓子ひとつもらって
ころっと気分が良くなり
相手を許したこともある。
…情けない私だ。
何度嫌いと思おうとしても
どうしても離れられない人がいて
それはいつもおいしいお土産を持って
会いにきてくれる、という理由から。
さて!そんな私が自分でみつけたチョコレート!
なぁ~に~ぃぃぃぃぃぃっっっ!?
このあいくるしさ!
びっくりひとめぼれ。
今、毎日ひとつづつ大切に食べてるところ。
だから、このごろの私は機嫌がいいのです。
かっちゃんの夢
明け方みた夢。
ロケバスの中。
移動中、時間がなくてスタッフみんなで食事。
ロケ弁膝に抱え食べてる途中急ブレーキ。
座席の間の通路を、膝から落ちた私のお弁当がつー…っと。
「ああ!かっちゃん!」と叫ぶ私。
前の座席にいたかっちゃん。
くるっと振り返りお弁当見事キャッチ!
でもおかずが床に散らばり、それを
「あーあ!ああ~…いちごさんたら…しょぉがねぇなぁ」
と苦笑しながら拾い片付けるかっちゃん。
ごぉめんなさぁ~い…と思いながら
「もつべきものはかっちゃん!」と笑いながら言った、その
「…ちゃん」ってとこでぱちっと目が開いた。
(実際、声に出して言ってた)
そしてたくさん たくさん たくさん 泣いた。
もつべきものは かっちゃん ……..
号泣 のち 敬礼!
ひとり号泣。 いちにち泣き続ける。
うえうえとまらない。 体中の水分が抜けて痩せた気がする。
人はこんなに泣けるものなんだ。
何を見ても思い出す、過ぎた日のあれやこれや。
…と、そこへ電話。 場違いなほどの明るい声で。
「あ、もしもしぃ?夏野さん?キネ旬の滝澤ですぅ。お世話様です~。
26日なんですがぁ、スケジュールいかがなもんでしょうか?
豊川悦司さんのグラビアなんですが、代官山スタジオで
カラーで8ページお願いしますぅ!」
………………………………………………なにぃっ!?とよかわからーはちぃ!?
たいへん!たいへん!こうしちゃいられん!
泣いてる場合じゃない。だってそうでしょう?
こんな心のまま彼の前になんて立てない。
仕事を引き受けた後、すぐさま鏡に向かって敬礼!
チェンジ!チェンジ!心をチェンジ!
過ぎた日のことは過ぎたこと。
さあさ、みなさん(みなさん?おまえだろっ)もう忘れましょう!
ああ。 どうして。 写真に救われる。 いつも。
…というか驚く。 自分の極端な激しさにも。(笑)
手紙
手紙をもらった。
それには「ごめんなさい」が100回くらい書いてあって
だけど他の人に言われて書いたということを私は知っていたし
なんだか学校の宿題で無理矢理書かされた小学生の作文みたいだった。
まだ何もわかっていない。
わかるまでは無理に謝ったりしなくていいと思う。
ごめんなさいとありがとうは不思議な言葉だと思う。
口先だけで言ってると、それがすぐわかる。
本人がどうしても相手に伝えたい場合にしか伝わらないようにできてる。
本当に心の底から沸き上がる思いに突き動かされて発音される以外は
効力を発揮しない言葉だ。
でも、あの手紙。
途中に「苺さんごめんなさい」と書いてあるところがあって
あの「苺さん」という呼びかけのところだけは、なんだか、心を感じた。
あの1ケ所だけ。 うれしかった。
名前を呼ぶって、思わずのことだと思うから。
謝るということ
「謝る」ことと「言い訳する」ことを一緒だと思ってる人。
それはひょっとして違うんじゃ…..。
相手にわかってもらおうとするあまりつい言い訳が先にくる人。
そういう人のことを
「自分が早く楽になって、きれいなままでいたいんだ」と
そう表現した友人がいたけど、私もそう思う。
最近私が見た、謝罪の鏡ともいうべき成功した例は…
ム-チョだ。
烈火のごとく怒り出した私に対し、
ある時から彼女はじっと黙り、無駄な言い訳はいっさいせず、
けれど、分かってもらおうとする事を放棄したわけでもなく、
たぶん何年もの間、心の中だけで「ごめんなさい」を
なんぴゃっぺんも繰り返したんだろう。
それが「反省」というものなのかもしれない。
いつしかム-チョは成長し、人としての正しさが
私のところまで伝わってきたんだと思う。
本当に「ごめんなさい」と思うなら
実際の行動として自分を変えること。
相手との関わりにおいてすまないと思った部分を
良いものに変化させること。 本気になって。
謝るって、そういうことだろう、つまりは。
負わせた傷に対して謝るというより、
その傷をまず自分が負うべきだろう。
自分が相手にしたことを知るべきだ。
そして自分の中に刻まれた傷を自身のチカラで癒していく。
とまっちゃいけない。 進み続けるんだよ。
光りにむかって。
しあわせになるために。
神様だけが知っている
言葉でそれを教えるのは不可能だ。
今、私にできることはひとつだけ。
正しい道を進んでそれを見せてあげること。
そのためだけに私はがんばる。
しかしどうだろう?
はたしてあの位置からここが見えるのか?
ぐんぐんどんどんすごい勢いで離れて。
とうとう私からは何も見えなくなってしまった。
さて、このお話の続き。
あるのか。 ないのか。
写真チェック
不二子とふたりで写真のセレクト作業。
一枚一枚丁寧にプリントを見ていく。
トップを目指すふたり。
そう、目指すは確かに。 あの位置。
出逢い
次の課題はこの人だ、と。
出逢いの瞬間、直感した。
その時わかった。
あの人は、もう通り過ぎたんだ。 すでに過去の人。
そうとわかったなら。
できるだけはやく。
なるべくとおくへ。
スタジオワーク
スタジオ通らないと
カメラマンになれないというなら。
私はホントはカメラマンじゃないんだろう。
なら、それでもけっこう。
だって私は今日もこうして
ファインダーの中に真実を見る。
私はスタジオって好きだ。
何か特別な空気を感じる。
大袈裟にいうと、神社みたいな。(笑)
神聖さを感じる。(特にシロホリのスタジオ)
それは、私がスタジオマン経験がない事とも
関係あるかもしれないな。
スタジオ通ってたら、全然こんな特別さは
見えないだろう。 もっと普通になっちゃって。
さて。 本日は三人のスタジオさんが
私のアシストをしてくれます。 うれしいです。
私の指示通りに
ぐんぐんライティングセットを組んでいく。
感謝、感謝。
このチカラを貸してくれないことには
今日の目的を果たせないんだから。
ありがとう。 みなさん。
写真の神様
豊川さん、ニ度目のお仕事です。
前回もキネ旬の仕事でしたが
前はモノクロ、今回はカラーです。
短い時間の撮影でしたが楽しかったです。
何が楽しかったかって。
スタジオでの特撮が、です。
今日またひとつ、壁を超えたような気がする。
これは、個人的成功という高いレベルでの話です。
私は、
カメラマンになろうと思ってなったわけではないので
プロとしてはいつもどこか腰が引けていて。
失敗や後悔も幾多ありましたが
気付けばとうとうこんなところまで…。
もうダメかとくじけそうな時、
いつも写真の神様がやってきました。
「だいじょうぶ。できるよ。泣かないで」
「次の被写体が待ってるよ、ほら、もう行かなきゃ」
写真の神様は時には優しく、時には厳しく。
私は、いろんなものを撮りながら
人生そのものを教わっているんだと思います。
それは今も。そしてこれからも。
ずっと続いていく、私の生き方です。
道の途中
私は今、最良の道を歩けてると思う。
途中に出くわす、悪いことも含めて。
コメント ( 0 )
トラックバックは利用できません。
この記事へのコメントはありません。