2004年12月

2003-2005

心が暖かくなる出来事

私たちは
「それでは神様の決めたタイミングでね」
としか約束をしなかった。

いつ、とは決めなかった。

だけどそれは
びっくりするような完璧なタイミングで
果たされた。

お互いがその約束を、
本気で守ろうと思ったからだと思う。

信じるものに宇宙はチャンスを与える。

それにしても何よりも一番驚いたのは
あの人の……

ああ。なんてきれいな心なんでしょう。

ちょっとしたものを届けるのに
こんなかわいくラッピングしたりして。
あれはあなたが自分で?(手紙までありがとう)

包みをほどいた瞬間わかったのは
私はたしか「送って」と頼んでいたはずなのに
あなたは「贈って」くれたんだということ。

ありがとう。 ありがとう。 ありがとう。

こんな素敵なことに遭遇できる
今の自分の位置を信じようと思います。
それから
あんな素敵な魂を生み出した宇宙に感謝を!
その素敵さに日々磨きをかけて生きてるあの人に
感動のエールをおくります。

ありがとう。
あなたに会えてよかったです。

スィーツ ♪ スィーツ ♪ スィーツ

 

こんな気分の時には
あまいあまいお菓子をいただきましょう。

あの人からいただいた嬉しい便りを読みながら。

あまいあまい世界に浸りましょう。

お菓子の国はかわいいなあ。
私はこれから
お菓子のような写真を撮っていきたいなあ。

苦手な人もいるだろうけれど
好きな人からはめちゃくちゃ好かれちゃう。

そんな世界をつくりましょう。

あまい あまい あまい せかい。

なつのいちごのくにへ ようこそ。

桃源郷

 

ここは居心地がいいなあ。  なんて気持ちいいの?

ふとあらためて、自分のまわりをぐるりと見渡せば。

あのひとも このひとも  そのひとも。

みんな気の合う 愉快で孤独な変わり者。

誰も私に何か言ったりはしない。
ココは 自由 気ままな 天国。
ひとりづつ。 自分の足で立っている。

いっしょうけんめい、ここまで移動してきてよかった。
なんとか えっちら おっちら。
あっちぶつかり、こっちぶつかり、しながらね。

ココこそが、私が今生きるリアルな世界。素敵な現実。

仲間の愛が優しく支えてくれるから
勇気をもらってぐんぐん進めるさ!

道の途中に時々現れる 怪物なんかもこわくないよ!
「この先は間違い道だよ」と教えてくれる
それだってたいせつな道しるべなんだから。
感謝だってしちゃうよ。 さよならと笑いながら手を振って。

さあ。 今日からまた、自分のことがんばろう。
もっと もっと もっと 先へ すすむために。

あの場所へ!

たとえばなし

 

ある日ある時とても気に入った喫茶店をみつけて
私はそこにたびたび遊びに行くようになりました。

カウンターの中にはいつも陽気なママがいて。
常連さん達はみんなママが大好きで。
そこは楽しく笑いの絶えない癒しの空間…のはずでしたが。

実は隣りのタバコ屋のおばさんがよく床磨きに来ていて
そのおばさんがいちいち人の話に口をはさんできて
とてもうるさいのでした…。
おばさんはホウキ片手に、びっくりするような独特の理屈で
人を正そうとします。
「あ~、こりゃこりゃ!そりゃいかん!」などと、
自分が気に食わないことはすべて人のせいにして、
「みんなが楽しくなるように。エチケットやルールを守りなさい」
と、そこで皆が口にしたい話題にまで制限をつけようとします。
どんなことも、自己流の解釈でぐいぐい会話を進めていくので
おばさんと話してると
自分のアタマがどんどん悪くなっていく恐怖がせまってきました。

私はもう少しで「ふざけんな、このくそばばあ! おもてへでろ」
と言ってしまいそうになりましたが、
いや、ちょっと待てよと、冷静になってあたりを見回したところ
誰もそのように感じてはいないようだし、それよりもなによりも
そこはママにとって大切な仲間とおしゃべりするための大切な場所。

私が壊してしまうわけにはいきませんでした。

よく考えたらとても簡単なことで、もう私がその店へ行かなければ
すむことなのでした。

でも黙って急に行かなくなると仲良くしてくれたみんなに心配を
かけてしまうと思い、最後、お別れの挨拶に行きました。
おばさんにも「言うこときけないのでもう来ません」と言いました。

私は、自由で軽やかな心になって、外へ出ました。
その夜、みんなからはお手紙をたくさんいただき、これからは
お店の外で会いましょうと約束しました。

私にとってうまくいかないことはひとつもありません。
よかったです。

翌日、お店の前を通りかかったら

「あのコに対してあたしもよくない口きいたのは悪かったけど
 最後のお別れ宣言はいけないねえ。  静かに去るべきだよ。
 それが人への思いやりってもんさ」

と、また全然わけわかんない理屈で、自分勝手に人を正そうとしてる
おばさんの声が聞こえてきました。

せんげん?…..いや、挨拶だろ。 挨拶するのが普通だろ? 礼儀だろ?

   …….いや。

         おばさんとわたしは違う。

ま。 それだけのことだ。

こうして私はまた気分よく、自分の行くべき道を歩き始めたのでした。

ほんとうにあったこわい話

 

ものすごくレベルの低い
どろどろに腐って溶けかけたような魂を見ました。
前回のたとえばなしは可愛く書きましたが、実は
あれは、ほんとうにあったこわい話なのです。

人は皆同じです。
どう同じかというと
「個人個人が皆違っていて誰ひとりとして同じじゃない
 そして、どんな人も変化し続ける可能性を持っている」
という点が、です。

善悪や正誤だけで他人を判断し、会話しようとすると
これはもう大変なことになります。
そういう考えを持った人に近付くと私の中のエラーサインが光り出し
ただちにその場から非難せよ、と警告する声が心に鳴り響きます。

善悪なんて。 正しいかどうかなんて。
もともと誰か他の人間が決めたことでしょう。
すべてに対してそういう見方しかできないとしたら、
その人は究極的には自分というものがない、ということになってしまう。

自分がないから、他者を認められないんだろう。

自分がある人は、他者も、またこの世にあるということを知っている。

自分と同じように。 今ここでこうして。 生きているということを。

すべてのスタートをそこからはじめようとする姿勢をもった人が好きです。

でも。それになかなか気づかずに生きている人もいて
まあ、それはそれで人生それぞれだなあとは思いますが、
どうまわりを見ても、心軽やかに楽しく平和に生きているのは、
気づいている人達の方だと感じるので、
なにやらそちらの生き方の方に自分は興味があるわけなのです。

「そちらの生き方」してる人は常に自分がどうしたいかがはっきりしてます。
いろんなことを、無自覚に人のせいにはしません。
何かに対して気分悪くした時も相手のせいにはしない。
今、気分悪くなることを自分の意志で選択してることを自分で知っています。
だから、不快な心を解決するために、相手に何かを直してくれだのなんだの、
何も要求したりはしません。

不快さを振り払いたかったら、自分の力でなんとかしようとします。

相手に文句を言いたければ言うけど、その場合は
自分は今、相手のせいにしてるんだということを自覚しています。
でも「言いたいんだから」言うのです。
相手が悪いとか、相手を正そうとかいう感覚とは違います。
だって、文句言ってる自分が、もう悪いですよ。(笑)
だけど正しいことばかりやって生きていくのがいいとも思えません。

善きことから学ぶのはたいていの人ができると思います。易しいから。
でも悪しきことから学べる人は少ないと思います。難しいから。

私は、その難しいことにも挑戦していきたいです。
だから人生に時々起る悪いことには、じっと目を向けます。
瞬間移動したり、成長できるチャンスが隠れているかもしれないからです。

今回も結局、その恐ろしい魂の持ち主には感謝することになりました。
あそこにあの人がいてくれなければ、私はノコノコ遊びほうけて
自分が今人生で一番頑張らなきゃいけないことを
サボり続けてしまうところだったのです。

危ないところを救ってくれました。
いつでも、仲間だけが自分を助けてくれるとは限らないのでした。

しかし。ほんとうに怖かったです。
どこが一番怖かったかというと、
人の足並みを無理に揃えようとするところ。
そして、その無理強いしてるということに
自分ではまったく気づいてないというところ。 寒気がするほど怖かった。

私は。
赤信号で渡ってはいけません、そう教わって育ってきました。
青信号は安全です、進めの合図です、そう教わって育ってきました。
でも。 青信号でも、車がやってきたらどうするの?
車は来ないけど、もし壊れてたりしてずっとずっと赤のままだったら?

誰か他人が決めたルールを守ることが「いちばん大切」ではないんです。
車が来てるか来てないか、自分の身に危険が迫ってるか、迫ってないか。

それは自分のこの目で見ること。 しっかり確かに見ること。
そして渡るか渡らないかは自分で決める。 ルール違反でも。

いつでも一番大切に思うのはそこなんです。

こんな生き方でいくといったいこの先はどんなことになるのでしょう?
今、自分の人生を使って実際に実験中です。(笑)

週刊ポスト 年忘れパーティー

今朝起きて、あの事件についてあらためて思った。
自分を生きないで、他人の行動ばかり気になる人は
本当に苦手だ。
「みんな気をつけて…」
「みんなが楽しくなるように…」
みんなみんなって。 なんだそれ。
自分が気をつけて、自分が楽しくなるように、では
なぜだめなんだろう?   不思議な人だった…。
もう忘れよう。

そこで。

忘年会です。(笑)
もうそんなシーズンなのでした。
今年はチームアクセントとして参加してみました。
阿久津ちゃん、恩田ちゃん、
忙しい中おつき合いくださりありがとう。
女三人、ぱくぱくもぐもぐごくごく…
お。ヤマゲン登場。
ちょっとすみません。
いったいいつになったら心中するほど
仕事くれるんですかあ? あの約束…
来年はひとつお願いしますよぉ!(笑)

私の師匠、藤田修平のそのまた師匠…
(私からすりゃ巨匠だよ)
の、写真家 渡辺達生先生にも御挨拶。
恩田ちゃんも阿久津ちゃんもぽぉ…となってしまい…
さすがは先生。
人をそんなふうにさせちゃう魔法が使えるって
すごい! せんせい、かっこいーもんなあ。

ところで、ビンゴの司会をやっていたヤマゲン。
あーた、おもしろすぎだよ。 やっぱり。(笑)

呑んで笑って胸がすーっとした。楽しい夜でした。

パーティーのあとで

恩田ちゃん、阿久津ちゃんとスタバでプチお茶会議。
今後の私のサイトのあり方などについて話し合う。

「でもさー、いちごさん、たばこやのおばさんとは
 付き合っちゃだめだよぉ。笑っちゃうじゃないですかー。
 なんでまたのぞくんですかー? そーゆーとこ… 笑」

…………………………………………。

はい。 ほんとに。 そうでした。
そんなことしてる暇あるなら、もっと他にやることが
いっぱいあったのでした…。

真実を指摘してくれる仲間は宝ものです。

ここのところ、いろんなことが、
それも似たようなヤなことがたて続けに起っている。

いま、よおく目を開けぱっちりと、見ているところ。

うーん….

  ようやく何かが   見えかけて

        どきどき     してきました。

だめなひと

さっき、彼女のサイトをのぞいてびっくり!

「感情的で非難攻撃ばりばりのメールが届いていた」

…あのメールのどこが感情的でどこが非難攻撃…ばりばり?(笑)
メールの主旨を理解しないで「感情的」としかとらえられないのは
個人的な彼女のチカラの問題だと思うし、
非難の攻撃をあびたように感じるのも彼女の心の問題だ。

人が誠意を込めて送ったものを、そうか…そんなふうに…。

自分の落ち度を指摘されて、それを「非難攻撃」ととるような
自省のカケラもないような人は、きっとこの先だめだろうなあ。

そういえば、いま思い出した。彼女の仲良しさんが言ってたっけ。
「本当は、もうずっと上の位置にいてもいいはずなのに
 なぜか、いつまでもいけない彼女…見ていて不思議」…って。

そりゃ不思議でもなんでもないよ。
こういうことのひとつひとつが運気に影響してるはずだから。

あれだけイベントのために協力したのに
最後こんなふうに人に返すんだな。

          よし。 わかった!

      いいか。そんな根性で成功できると思うなよ。

      この怒りの波動は宇宙へと影響を与える。

        人のパワーはばかにできない。

          たたきつぶしてやる。

         え?  どうやるか って?

不正と思うそれを、永遠に葬り去りたいならば、方法はただひとつ。
自分をよりよく生きるしかない。
自分の人生で証明するしか、他に方法なんて ないだろ。

「あんた、それ違うよ」と思ったら、
黙って自分で「違わない」生き方したらいい。人に言うんじゃなく。
言ったところで、「非難攻撃」なんて言われちゃかなわない。(笑)

      あんなやつ、宇宙の平手打ち食らうがいい。

怒りのパワーがもたらす光

 

今までの気持ちが全部爆発したような憤りの嵐。
ものすごい暴風だ。
自分の中心に、エネルギーが集結していく感覚。
このパワーは、必ずや、あの悪魔を吹き飛ばす。

   どこで つっかえたんだ?

答えはあきらか。 悪いのはすべてこの自分だ。
初対面から「好きになれない」と直感してたはずなのに。
なぜ人の言う事聞いて撮ったりなんかしたんだろう。
仕事でもないのに…あそこできっぱり断るべきだった。
どうしても、というなら他のモデルを探してもらえばよかった。

  しかし…これで一連の謎がとけたぞ。

ここのところ、何かが少しづつ、ずっとおかしかった。
思えば、「やだー」と叫んであの写真を撮らなければ
あのイベントにも参加せず、あのイベントに参加しなければ
結局たばこやのおばさんとモメることもなかった…

    なんだ、つながってるじゃん。

でも今思う。私に必要な出来事だったと。ヤなこともぜんぶ。
あんな事やこんな事があったおかげで、今ここにいるあたし。

   またひとつ。新しい扉が開いたぞ。

これまで私は
同じところをぐるぐるぐるぐる回ってるだけだったんだっ!
ぐんぐん進んでいるように感覚してたけど違ってた。
すべては「さっさと移動せよ」の信号だったのか。
どう考えてもシンクロできない人達がどんどん近くに寄って来て
そんなのおかしーよな、って思ってた。

ああ。それにしても。   どうにも消せない汚点は、
被写体を愛せないままシャッターをきったという事実。
すべての元凶はここにある。
こころのまんなかに深い傷として残そう。
今後一切こんなことがあってはならない。

愛せないものにレンズをむけてはならないのだ。
こんなことになって自分に返ってくるのだから。

え? すべてのものを愛せるように訓練しろって?

     …冗談じゃないよ。

あたしは生きながらにして仏になりたいわけじゃあないんだョ。

愛すべき被写体

しかしこれはものすごい新しい体験だ。
とうとう最後まで愛せない被写体なんて、はじめてだ。
あの時の作品は。
私がいいなと思うものにはどれひとつ彼女は写っていない。
写っているのは、カメラマンとして私を抜擢した人の心と、
(そう、私はあの時あの人のチカラになりたかった!)
私自身の心だ。 だからその証拠に、
彼女のファンは見たってちっとも面白くなかったと思う。

私は運が良すぎたのか。
素晴らしい被写体にばかり巡りあってきた。
それはきっと、どれをとっても奇跡だったんだ。

エッセイ読んで心配したよ、と片岡礼子から電話。
ありがとう。
涙がこぼれちゃうよ。私の愛すべき被写体よ。
その声を聞いただけで、愛しさが込みあげる。
どうかまた撮らせてください。
その高貴な魂の輝きを見せてください。

いままでに撮った作品を見てあらためて思う。
私はこうでなくっちゃ。 って。

写真の神様。 ごめんなさい。
私はどこかで「いい気」になっていたと思います。

冬ごもり

 

まる2日かけて部屋の掃除や身辺整理をしました。
古くなり、用が済み、
過ぎた一切のものを捨て去ります。

シンプルな状態に身を置き、さて。
これから、自省の時間に入ります。

人生に迷った時に読む、
大切にしている本が数冊ありますが
さっきそれを、机の上に積みました。
これから何日もかけて、読むために。

でもその前に。
買ったままで読んでない本があるので
そちらから読むことにします。
今数えたら18冊ありました。

まずはじめに手にとったのは
パウロ・コエーリョの「星の巡礼」

ああ…もう最初の数ページで、
これは自分のことが書かれてる!と思い、
身体がカッと熱くなってきました。

宇宙の仕組みは
たいへん興味深く面白いと思います。
どうなってるかということについては
たぶんこの一生かけてもわからないと思いますが
とにかく見れるところまではこの目で見てみようと
思っています。

今年の冬は、時々作品を撮りながら、
こんなふうに静かに過ごすことに決めました。
新しいスタートです。
2005年は、私のなかではもう
始まっているのです。

星の巡礼

 

宝となる一行をみつけた。

正しい決定を下すための唯一の方法は誤った決定が何かを知ることだ

そしてもうひとつ。

敵を打ち負かすためには私達は今やっていることを武器に使うべきだ

よかった。
私は、うまく思い出せたと思う。
なぜ忘れたりするんだろう? 一度わかったと思っても。

実践しないからだ。 知っているだけではいけない。
言葉通りに生きなければ。

新しい書物を読んでみたところで
新しい答えにあえるわけではない。

すでに知っている答えを思い出すだけだ。

これでよかったんだ、なにもかも。
私に思い出させるために、ただ、いろんなことが起きただけだ。

今回の失敗のおかげで、自分が目指す成功とは何か、が見えてきた。
そして真実の「武器」となるよう今やってることに磨きをかけねば。

さあ。 くじけずに。 もういちどはじめから。

ありがとう

 

みなさん、たくさんのメールや電話ありがとう。
エッセイ読んで心配してくださったみなさん、ありがとう。

私は大丈夫です。

すてきな仲間たちに囲まれてること、実感しました。
心強く思います。

私は。
人の道じゃない。 自分の道を歩いていきます。
もしまた間違っても、痛い目にあっても、何度だって、
やり直します。

どんなことにしても「人はそれぞれ」だと思います。
だから他人に対しては何も強制はできないけれど
ただ、自分は
「人それぞれ」ということにあぐらをかき、
謝るということができない人間にはなりたくありません。

もし自分が相手に対して申し訳ないことしたな、と感じた時は
明るく開き直ったりチャカしたり誤魔化したりしないで
きちんと「ごめんなさい」が言える人間でいたいと思います。

こういうことが感じられない人は
ものをつくることはできないと思うし、もしつくっても
それが世界に羽ばたくことは、けしてないと思います。

でも、カケラほどにも感じていないのに
口先だけで簡単に「ごめんなさい」を繰り返す人は、
さらに最低ですね。

宇宙に関して常々感じていることは、
たいへん厳しい そして とても公平である ということ。

ほんとうのことは、ひとつしかないとおもいます。

それを探そうと努力する人は、必ず幸せになれると思います。

最近の嬉しかったこと

 

よしもとばななさんからメールをいただきました。
彼女は、
なんだたいそうなこと書いてるわけじゃないんだけど
(笑)そこがまた、ここ一連の
私の心の疲れを取り去ってくれたようです。

下北沢の書店「フィクショネス」の店主
おさむちゃんからのメールにも大変元気づけられました。
この人はなんか…私のことをよく「見て」くれているように
感じます。
彼と話してると、「よく理解されてる」というような
感覚になります。 それは昔から。

もう何年も会ってませんが、その間、お互いの状況は
かなり変化しました。
彼は小説家になり、私も仕事の質が大きく変わりました。
だからもしかして今ひょいと会うと
なんかお互いがあの頃とは違って見えるかもしれないです。

でも、やっぱりまた、私達は仲良しでいられると思います。

今度、久しぶりにお店のほうに遊びに行ってみようかしら。
そういえば最近、お店には、
よしもとばななさんがよくいらしてるそうです。
この前は、おさむちゃんの本に「サインして」と
言ったそうです。(ばななさんは私へのメールにも
おさむちゃんの本が好きと書いていました)
「本が売れない」と嘆いてるおさむちゃんにとっては、
天にも昇る嬉しい思いだったことでしょう!(笑)

私にしてみれば、
アベドンが自分の写真を誉めてくれたようなもんです!
…もう死んだけど。

いいなあ。おさむちゃん。 それ聞いて私も嬉しかったです。

(リンクページからフィクショネスへ!おさむちゃんの日記に
 ばななさんが来店した時の話も書いてあるよ~ん♪)

人体の不思議展

 

…へ、行ってきましたが。

………ちょっとよくわからない展覧会でした。
というか、全然自分はこういうことに興味が
ないんだということがはっきりわかりました。

人の身体、輪切りにしてどないすんねん?(笑)
という感じ。
医学を志す者が勉強するために、
なら、必要かもしれないけど…うーむ。
ひょっとしてこういうことに興味ある人がクローンとか
つくっちゃったりするのかな?と、ちと思いました。

これなら私は、ダミアン・ハーストの牛を輪切りにした
アート作品の方がまだ本物を見たい、という感じだなあ。

すごいスピードで会場をぐるりと一周しました。
足が止まるところは一ケ所もありませんでした。

最後、出口のところに係りの人が立っていて
たくさんの量の割引券を無理やりくれましたが
…でもぉ。
これを誰かにあげて行くのをすすめるといってもなあ…
(苦笑)
大人1500円が1400円になってるだけだし(笑)

私は、「人間とは」ということを解明しようとする時
肉体の仕組みそのものよりは、精神世界の方に、より
興味があるタイプらしいです。
でも、健康に関心があるとか、そういうことは
肉体的な問題なので、ま、バランスが大切だと思います。
確かに精神世界だけですべて片付けるのはよくない。
かといって、輪切りにしてまで肉体調べてもねえ。(笑)
たとえば肉体に関して興味あるのは、運動する、とか
この食物はどのような影響を身体に与えるか、とか、
血液やリンパの流れを良くするための
アロママッサージがどうとか…そういうことです。

でも興味ある方は、ぜひ行って、自分の目で確かめてね。
東京国際フォーラムにて、来年1/16まで。

何をいっても通じない

逃げるが勝ち。
二度と繋がりたくない。
気配を感じただけで吐き気がする。

最初はこんなことなかったのに
どんどんヒドクなる感覚。

気持ち悪い。

1ミリも融合したくない。

できればあったこともすべてナシにしたいくらいだ。

ぶはははは。(笑)

音楽家 長屋和哉

 

片岡礼子が脳内出血で倒れ、緊急手術をし、
一命をとりとめた時、
術後、繰り返し繰り返し、
祈りのような気持ちで聴いたという
「うつほ」というアルバムの生みの親が
長屋和哉氏です。

私は、去年5月、
熊野地方の玉置山のてっぺんにある
玉置神社で行われた彼のコンサートに行った時
初めて彼を見た。はじめにロウソクに火を灯し、
消えたところで演奏終了という独自のスタイル。
コンサートが終わったあと
彼はたくさんの人達に囲まれていたので
私は近寄ることができなかった。
でもその時もう
彼とは「出逢った」気がしたのです。
こっそり遠くから写真を撮りました。
出逢った印に。
(モノクロ写真は玉置で。
 ライブ直前の彼とロウソクが消えた瞬間)

ひとことも言葉を交わすことなく
その時は別れましたが
再会の時は早く訪れました。
11月にもう一度熊野へ行った時
宿泊先が偶然一緒だったのです。
一晩、呑み明かし、連絡先を交換し、
友人としての付き合いがスタートしました。

この夏、片岡がうちに泊まりにきた時、
長屋さんに電話をし、
彼女とつなげることができました。
片岡にしてみれば、長屋和哉は命の恩人なのです。
私は、横でふたりが話すのを聞いて
涙がこぼれる思いでした。
つながってよかった、と思いました。
彼等は、本当は、
もう精神的にはとっくにつながっていたんだけど、
ふたりをみて、痛切に感じることがあったのです。

人々は、会うべきです。

この世に生を受けて、つながってる人とは、
実際に会わなければだめです。
瞳と瞳をみつめて。 手に手をとり。
声を聞き。 触れて感じなければ。

リアルなつながりは宝です。

で、その長屋和哉。 この10月に新譜発表。
アルバムタイトル「すべての美しい闇のために」

本当は買わなきゃいけなかったのに
まごまごしてたら、プレゼントしてくれました!
ありがとう!
(礼子の分はちゃんと郵送しときましたよ)

彼は、
映画ガイアシンフォニー(地球交響曲)にも参加。
今年の春はモンゴルでのライブも成功。
山口小夜子、ボム・サム、スーザン・オズボーン、
チベット密教僧侶など、他コラボレーション多数。

モンゴルへいく少し前。
八ヶ岳の彼の家にお邪魔した時は面白かった。
ふたりでずっと
ただひたすら焚き火をみつめてました…(笑)
彼はほんとうにすてきな人です。
でも…このチラシの写真は…ちょっとどうなの
(笑)こんなシブかったっけなあ?
実際は、えーと、あーと、もーちょっと………..
ただのオッさんです。(爆)
きゃあ ☆ うそうそ ぶはははは
長屋くんはかっこい~ですぅ♪♪♪

本当を確かめたい方は
リアルな彼に会いにいってください。
12/29東京ライブあり!
その前にアルバムを買って
彼の世界を好きになりましょう。

CDについてのお問い合わせはame-ambientまで。
tel&fax 03-5774-4370
http://www.ame-ambient.com/

なお、このサイトは
長屋和哉のHPとリンクしてます。チェックしてね!
最新ライブ情報は彼のダイアリーにのってます。

最後の言葉

 

目の前に起きている真実を見ようとしないで
自分の見たいようにしか見れない人の近くでは
うまく呼吸ができなくなる。

私は愛してる人としか戦いたくないのです。
わかりあうための戦い。
どんな小さな点も見すごせない。絶対に諦めない。
愛してればこそ持続できるチカラ。
どうでもいい人にそれを向けることはない。

楽しいはずないだろ。

いつまで勘違いしてるんだろう?
嫌われたってなにしたって、私に相手にされてると
思い込みたいんだな。 かわいそうに。

その友人 Oさんへのメール

 

エッセイ読んでいただいてありがとう。

貴女のその望みが本当なら私の助けになります。
勇気をありがとうございます。

いただいたメールについてですが…
貴女とその「気配」はまったく別のものです。
ひとりひとり違う人間です。
あなた方が友人同士だからといって私は混同していません。
どうぞ謝らないでください。

「気配」については(笑)
私は「攻撃」してないのにそうされたと思い込んだりする部分が不思議でなりません。
自分がそう感じる、という表現ならわかります。でも彼女は今「決めつけて」います。
自分の見たいようにしか私を見ていない。
だから私の魂は息苦しさを感じて爆発したのだと思います。

貴女のサイト、見ていますよ。
書き続けていってくださいね。

私も貴女を応援しています。  会えてよかったです。

いちご

アーティスト へルンヴァインの言葉より

 

私はいつも大人より子供の方が
ずっと自然にコミュニケ-トできると感じます。
あらゆることがずっとシンプルで、理屈にかなっているように思えます。
子供の世界では、どんなことでも可能であり、想像力にも限りがなく
魔法や奇跡もあたりまえにその一部であり、アートと生きていることが一体です。

ある日、私は気づきました。
これこそほとんどすべてのアーティストに共通するもので、
アーティストというのは、ある程度、
子供でいつづけることに成功した人なのだ、と。

ピカソは言いました。
「すべての子供はアーティストである。問題は、成長しても
 いかにアーティストでいつづけられるか、ということなのだ」

アーティストの戦いとは、
この異質な世界とどう折り合いをつけていくか、
どう役割を果たせるのかということなのです。
私は自分がアウトサイダーだとわかっています。
でも私はそのことが気に入っています。
なぜなら、他のアーティスト、子供達、
その他多くの聖なる愚者との強い絆を感じているからです。

◎ある雑誌のインタヴュ-記事でこんなのみつけました。
 読んだら心に気持ちのいい風が吹きました。
 私は、自分の好きな生き方で日々過ごせることを幸せに感じます。
 この言葉を発見して何よりも嬉しかったのは、私の個人的な考えと
 思い込んでいたところが実はピカソまで通じていたんだ、ということ!

メディスンカードの答え

 

『人間という生き物は「運が良い」か「運が悪い」かの
 一方にひっかかって「運はいつでも変えられる」のを
 悟らない。

 言うべき事を言おう。
 あなたの判断は健全である。 あなたの行動は成功する。
 これ以上待っているな。勇気を奮って跳躍しよう。
 タイミングを計るあなたの勘は完璧なのだから。
 今が「その時」だ。 パワーはあなたの手中にある。』

….なんと。力強いことか。これを今しばらくの天からの答えとしよう。
心静かに宇宙の言葉に耳をすませば聞こえぬ声が聞こえるようになる。

ワタシノコト

 

自分のエッセイを
ずっと昔までさかのぼって読み返してみましたが
もうそんなふうに思っていない、とか
ここは間違ってる、とか思う箇所が何ケ所かありました。

私の発言は「絶対」ではないし必ず正しいわけでもないです。
しかも私は移動しつづけています。  変わり続けています。

変わらぬ譲れぬ一ケ所は、常に「あの一ケ所」だけであり、
その他のことはたいていどうでもいいことなので、
過ぎたことは忘れてしまいます。

時々私の文章の中毒になり、
心に瀕死の重症を負う方がいらっしゃいますが
どうぞもう少し気楽に読んでくださいな。(笑)

重要なのは愛せないことではなく、愛せないと「知る」ことでした。
愛せないと知ることは、そのまま自分の限界を知ることでした。
限界を知ることは、その先の可能性を見ることにつながります。
限界を知らなければ、そこから拡張させようという意識も働かない。

拡大へのチャンス到来です。

私は、やっぱり今もダメ人間で、
笑ったり泣いたり怒ったり歌ったり叫んだりしながら
今日もこうして生きています。
これを読んでくださってるあなたと同じように。
みんな一緒です。

私の文章を読んで「嫌い」と思ったら、どうか
あなたが私のようには生きないでください。
それがなによりです。
もしも「好き」と思ったら、仲間になりましょう。
楽しんで笑ってください。
私が怒ったり泣いたりしている時にさえも、です。

真夜中のメール

 

どうして私を自分の世界から消してくれないんだろう?
私があなたをそうするように。

たとえばなし 2

 

ある山の中に、キノコとり名人のおばあさんが住んでいました。
おばあさんの名前はニ下幸子(にしも さちこ)といいました。

ある日、友達の化粧上手な占い師が、カメラ好きな私のところへ
おばあさんをモデルに写真を撮ってくださいと頼みにやってきました。
約束の日に山へ登ってみると、おばあさんの顔はすでに化粧され
まるで歌舞伎役者のようになっていて、最初おばあさんとは気づかなかったほどです。

なんだか私はよくわからないまま、まあいいか、と撮りました。

しばらくたって、「キノコ祭りだよ、全員集合!」というお祭りをやりたいから
会場を飾るために、この前の写真を貸してくれとおばあさんから連絡がありました。
「キノコまつり? いや、写真かんけーねーだろ」と思った私は
「だって、あれ、ニ下さんの顔全然わかんないっすよ」と伝えましたが、
おばあさんは「うんにゃ!わしはあれを飾りたいんじゃ!」と言い張ります。
キノコの写真じゃだめすかねー?と言ってみましたが
「フジやまカラーの100年プリントで、焼き増し代は全部わしが自分で出すから」とか
「あの写真が好きなんじゃよぉ~」とか、あんまり熱心に言うので、
おばあさんが喜ぶなら….と。   結局承諾しました。

お祭りの日、ふたたび山へ登りました。
食いしん坊の私は、おいしいキノコでもたくさん食べれるのかしらん
と思っていましたが、なんと実は、おばあさんのひとりのど自慢大会でした。
おばあさんは歌が好きなんだなあ、ということだけはよぉーくわかりました。
おばあさんは、集まったみんなに写真をプレゼントしたい、と言い出しましたが
「だからあ。 あれはニ下さんの顔わかんないからやめましょーよ」
と、今度は引き下がらず説得したところ
「わかったよ」と、快諾してくれたので、私は安心して山を降りたのでした。

          しかし。

ある日、ふもとの村を歩いていると、村の掲示板になななぬわんとおおぉぉぉぉ~
おばあさんが私の悪口を書いているじゃじゃじゃああああ~りませんかっ!?
なんで? なして? なしてえー――――――――― ???
怒り狂った私はその日から、拡声器を使い、毎日のように
「えー、ごちょーないのぉーみなさまぁー… にしもさんはぁ…」
と、村中に響く大音量でおばあさんの悪口を言ってまわりました。
その声は、山のてっぺんまで届いたので、
おばあさんも負けじと私のことをあーだこーだ言い始め、なんだかだんだん
泥試合になっていきました。

       そんなあるひのまよなか。

「おまえさんのうたをつくったよぉ~。レコード発売するから
 買っておくれよぉ~ いーひひひひひっ♪」という手紙が届きました。
「なんだよー、それー、やめろよー、いやがらせかよー、おどしかよー。
 もーかんべんしてくれよー、なんであたしのうたなんか歌うんだよー。
 きのこのうたでも歌ってろよー」と思いましたが。

そこで私は突然ハッと気づいたのです。
おばあさんは毎日山の中で寂しく暮らしていたので、
こういう形でも、人と関わるのが楽しかったんだろーなあ、と。
その時、おばあさんへの怒りの感情は消えてしまいました。
しかし、いくらおばあさんが楽しそうだからといって
このままこれ以上、私はここで遊んでいてはいけない。
私は自分のやるべき仕事があることを思い出しました。
思えば、もうずいぶん長いこと、おばあさんのペースで遊んでしまいました。

最後、おばあさんに手紙を書き、風の精に山へ届けてくれるよう頼みました。
「会えたことはよかったです。 どうかお元気で。 さよなら」

そうして私は、荷物をまとめて、もうおばあさんの声が届かない、
遠い海のむこうの国へ引っ越すことに決めたのです。

また一生懸命、自分の仕事をするために。

事の全貌

 

最初のメールは、
「写真の制作費が足りないので、展示したものを売っていいか?」という内容でした。
私は、それに対して断りのメールをいれました。なぜダメかという理由も説明しました。
売るくらいなら、私のファンにプレゼントしたい、と提案したところ
「実費で譲るというのは?」と、またお金のことをいってきたので、
どうしてうまく伝わらないかな?と思いつつも、ふたたび返信しました。
(このメールが問題になった)
それに対して彼女は
「売りたいと思ったのは、スタッフの人に売らないの?と聞かれたからだ」
といってきて、
あれー?この前と理由が変わってるなーと思いましたが、
「あなたがダメというなら売らない」
と約束してくれたので、私はもうこのことはすべて終わったと思っていました。

ところがある日、ひさしぶりに遊びにいった彼女のサイトで
私のメールに対して、びっくりするような書き込みを発見したのでした。

彼女が非難攻撃されたと感じた、私からの返信メールはこれだと思われます。↓

☆ ― ☆ ― ☆ ― ☆ ― ☆ ― ☆ ― ☆ ― ☆ ― ☆ ― ☆

> もし、苺ちゃんのお知り合いでどうしても欲しいという方がいらっしゃったら、実費
> でおゆずりする、というのはどうでしょうか?

『何度もいいますが、お金が発生するのは無理です。

 実費をかけてでも、どうしてもあの写真でいきたいといったのはあなたなので
 それを採算が合わないという理由で他人に払わせるのはどうでしょう?
 考え方として信じられません。

 私の知り合いをばかにするつもりですか?

 金銭面で苦しいとしてもそれは自己責任だとは思いませんか?
 フォトブックとTシャツの売り上げでまかなえないのですか?

 厳しいものの言い方でごめんなさい。

 でも、いつでもまっすぐ思ってることははっきり伝えたいので。
 けしてあなたを追い詰めたり責めたりしているわけではないので。

 とにかく、あの写真を誰かにお金をもらって譲るという考えは絶対やめてください。
 これは、ほんとうにお願いします。
 プロラボにも相談しましたが「それはぜったいまずい」と言ってました。
 あれはあくまでも展示用に作成したのであって、ひと月もすると
 パネルが歪んだり反ったりしてくるはずです。

 売るのは絶対やめてください。 おねがいします。 約束してください。』

>
> 私も、今回は苺ちゃんや皆さんの協力のおかげで、素敵な作品を実費のみで世の中
> に発表する事ができました。

『それでよかったじゃないですか。
 普通赤字覚悟でやるもんでしょ?
 ああいうイベントで黒字を出すならプロのイベンターを入れないと無理ですよ。』

>
> そして苺ちゃんは、自分のHPなどで私の宣伝を一生懸命してくれました。

『しましたよ。
「一生懸命」というよりは、もっとナチュラルな感じですが。
 やりたいのでやりました。』

> 私も、テレビやラジオや雑誌などの媒体に出るたびに苺ちゃんのよさを真剣に伝えま
> した。

『ありがとう。  いちご』

☆ ― ☆ ― ☆ ― ☆ ― ☆ ― ☆ ― ☆ ― ☆ ― ☆ ― ☆

このメールの、いったいどこが「感情的で非難攻撃ばりばり」なのか
私にはまったく理解できませんでした。
しかし個人の感じ方は自由です。
たとえば、いつも思うことですが、
私の書いたものを読んで「勇気がでた」とか
「素晴らしいと思う」とかいうメールをいただく機会がありますが、
それは、そう感じる読者ひとりひとりの心が素晴らしいのであって、
けして私が素晴らしいわけではないと思います。
プラスの方向に皆さんが、勝手にある意味、誤読していると思うのです。
だから、私の文章をマイナス方向に誤読する場合があっても
それは不思議じゃありません。 人それぞれの感覚ですから。

私が怒った理由はそこにあるわけではありませんでした。
彼女が、私に直接は何も言わず、自分のサイトで
「非難攻撃ばりばり」と書いていたことがショックだったのです。
上のメールのあと、私への返信にはものわかりのいいことをすまして書いて、
目につくかもしれない場所に「感情的に攻撃された…」って、そういうこと書くって…
そこがどうにもひっかかってしまいました。

「非難されたように感じた」と、直接抗議してもらえたら
私もすぐに「違うよ!してないよ」と誤解を解く事が出来たと思います。

なぜそうしなかったのでしょうか?

彼女は、それができる人間だと信じていました。(少なくともそれまでは)
怒ったということは、彼女の人間性に対して私がそういうことを期待していた証拠です。
最初から「そんなやつ」と決めつけていたら、腹もたたなけりゃ
別になんにも気にならなかったと思います。

これが一緒にものをつくりあげてきた人間に対してやることだろうか?

私の感覚は、何かを知覚するより早く、瞬時に怒りとして爆発しました。

怒らずに、いや、怒ってもいいから
私の方こそ、すぐさま彼女に直接ぶつかっていけばよかった。
でもそうしなかった。 
私も彼女と同じように自分の場所だけで、感じた事を表現しました。

          なぜか?

彼女がそうした理由は確認していないのでわかりませんが、自分のことなら
わかります。    答えは、私が人間として「できていない」からです。

その時、なぜか「間違った」選択をしました。
物事が一番良い方向へいくことを最優先し、落ち着いて対処する方法を
選ばなかったのです。
それこそ感情的になり、自分がしたいように暴言を吐き
とにかく感じるままに感じる方向へ何も考えず、数日進みました。
その後も彼女は、自分の見たいようにしか私を見ず、
それに対して私も同じレベルで反応しました。

そうしたかったのです。

けれどいいことはひとつもありませんでした。 私にとっては。 でも…
ここまできて、私はやっと「なにが起ったのか」うすうす解ってきました。

彼女からまたメールがきました。
「苺ちゃんがあんまり面白いから、あなたの曲を書いたわー」とうれしそうに。

どうやら彼女は、攻撃されるのが好きなタイプだったようです。
私はしてないのに、そういう形で相手にされてると思い込むことによって
うれしくって燃えちゃったみたいです。
このことにやっと気づいたんです。
そんな人は今まで会ったことがなかったので、つい今日までわからなかったのです。

私が怒るのを見て、なぜか彼女はますます楽しそうでした。
彼女にとってはそれが、気持ち良いことだったのでしょう。
? ちょっとどう考えてもこれは私には関係ない領域です。
怒ってる私を見て「オモロイ」と表現したりする感覚などはちっとも理解できない。

更に彼女は、私と「戦いたい」と希望しています。
メールには「作品での報復を待ってる」とも書いてありましたが
もう言ってることが私にはさっぱりわかりません。

私は何かに対する「報復」のために作品をつくったりはしないし、
戦いを挑むほど彼女を愛していないので、ここできっぱり別れることを望みます。

わかりあえない同士は、離れるのが一番です。

どうしても一緒にいたい相手で、とても愛していて、とてもわかりあいたくて
ぶつかっても戦ってもいい、という相手ならまた別ですが、
それ以外なら、お互いを尊重するために遠く離れて生きていくことが
良い選択だと、私は考えます。

彼女には、自分の仲間から支援される、心地良い場所が必ずあるはずだから、
そこで楽しくやればいいと思います。

私は、彼女を変えようとは思いません。 なぜなら、
その頬を殴り飛ばし、目を覚ませ!と叫び、強く抱き締めてあげるほど
愛してはいないからです。

それは彼女が悪いのではありません。 彼女の問題ではありません。
私の個人的な問題です。

私は、最初「愛せない」と表現しましたが、「愛したくない」の間違いです。
なぜ「愛したくない」のか?
彼女を優しく包み込み、愛でくるんであげるほどのキャパシティが
私には、ないのです。

私は、彼女が自分の本質にそって生きてるかどうかについては
実は、疑問を抱いています。
でも、人のことなのでわかりません。
たとえ、本質を生きていたとしても。
やはり今の私には、理解できません。

撮影してても終始ピンとこなかった原因はそこにあると思います。
彼女は、私を「今までで最高のカメラマン」と賞賛してくれました。
でも私は嬉しくなかった。
深いところで、彼女とシンクロしきれなかった自分の感覚に嘘はつけません。
写っているものが真実です。
撮影を通して、他者との深い融合を何度も経験している私には
納得のいく写真ではありませんでした。
やはりあれは、彼女を写したのではなく、ヘアメイクとのコラボです。
その意味では成功したと思いますが、あれを自分の写真として絶賛する、
彼女の感覚も本質もどうしても理解できないのです。

すべてにおいて「合わない」と思います。

彼女との諍いは、私に自分の限界を見せてくれました。

これこそが、いま私が見るべき事だったと思います。

彼女に対し、ものすごく怒って悪態をつきまくり、激しく抵抗しましたが
それはそのまま自分に抵抗していただけでした。
自分の小ささを見るのが、イヤだったんだと思います。
自分の本質を認めていなかったので、ずっとイヤな気分が続いていました。

自分をカッとさせてくれる出来事は、時に、とても大事です。
私は、自分の感情を殺しません。 感じるままにまかせます。
そのまま流れつく先には、いつも学べる何かが待っているからです。

人から呆れられようが、笑われようが、たとえバカにされようが
私は自分が生きていて「ん!」とひっかかることについては、
どんな小さなことでも、とことん掘り下げます。
気になったまま、放置したりはしません。

(逆に、どんな人生の大問題についても「ん」がなければ
 全然何も考えないし悩まない。 誰が心配してくれても、です)

深く深く自分の中心に入っていくと、必ず自分の「本質」にあたります。
そこまで潜っていくと、たいていの問題の答えは得ることができるのです。

とても根気と集中力が必要です。 時間もかかります。
けれど妥協は絶対しないのです。
ふたたび「ん!」と感じるところまで、自分の心を飛ばし続けます。

私にとって、「ん!」とくる感覚は、宇宙の真理と繋がってると感じています。

「ん!」とつまずきを感じてるのに、それが何かを追求しないでいるということは
真理の道から逸れてるんだと思っています。
なぜかというと、生きていてたいへん気持ち悪いからです。(自分の感覚が)
答えが得られるまで、苦しさは続きます。

しかし、ふたたび「ん!」がやってきた時、
また真理の道に戻ることができたように感じます。
なぜなら、生きていて気持ちいいからです。

自分が生きていて気持ちいいか悪いかは
自分の本質にそって生きてるかどうかのバロメータになります。

自分の本質にそって生きることが「真理」だと感じます。

結果的に気づきを与えてくれる存在だったことに対しては、彼女に感謝したいです。

しかし、自分が「それは真理ではない」と感じる部分に関しては、
やはり同調するわけにはいきません。
彼女が私に対してとった一連の態度そのものについては「よし」とできないままです。

彼女はとうとう最後まで、謝ることはしませんでした。
ずっとへらへら笑ってばかりで、そこが一番残念です。
でもそれが「彼女にとっての本質にそった生き方」ならば仕方のないことです。
許します。 そして自分のことも。

最初からふたりが良き方向を目指せなかったこと。
私自身も間違った選択をしたこと。
お互いの本質にそった結果として、これが自然な流れとするならば。
二度と触れ合わぬがいいというサインだと。 そのように感じます。

彼女は彼女のままで。 私は私のままで。

真理に至る道はひとつではないと思うから。 無数にあると思うから。

それぞれが信じる道を、自分のやり方で生きていくのが一番です。

私は今日を限りで、彼女からのアプローチの一切を遮断することを決意します。
もし一瞬でも。 目撃することがあっても。 無反応でいることを決意します。

私が信頼している友人から、先日こんなことを言われました。

「いちごさん、タバコ屋のおばさんといい、今回の事といい、
 そういう人達と、ちょっと長く、いすぎー。 ダメですよー」

ホントそうだなって思いました。(笑)

少し前に、このエッセイで「世界は大きくわけてふたつ」というような
ことを書きました。 まったく自分の主観から。

でも、思います。

もしも自分の心を遠く遠く、さらにもっとずっと遠く。 今すぐ飛ばしたとして。

銀河系も飛び出して。  その位置からふと振り返り。 この地球を見たならば。

             世界は たった ひとつ

そう感じます。

近くにいても。
遠くにいても。

みんな仲間です。

彼女の魂と、すべての出来事と、これを最後まで読んでくださった皆さんに。
心より感謝するとともに、愛をもって以上の発言を終わります。

            ありがとうございます。

                               2004.12

ずっこけ人生

 

私が一番尊敬して、好きだなあと感じて
そのように自分もなりたいなあ、
と思う人はいったいどんな人かというと

いつも自分の椅子に座ってる人。

どんな時も落ち着いて、むやみに外側の影響を受けず
常に自分の場所から、静かに物事を見渡せる人。

高い場所にいて。 広く遠く世界を見渡せる人。

ここは今曇り空だけど、ああ、あっちの方に晴れ間が
あるから、あそこまで移動してゆこう、とか。
そういうふうにできる人。

私もね、椅子はみつけたんだよ、もう。 この人生で。
座ってんだけどねー。 それが、やたら転げてばかり。
椅子からずり落ちたり、時には椅子ごと派手に後ろに
ごろんとひっくり返り、おまけに一回転して奈落の底
……… ぶははははは(笑)

あれー?なんて。 椅子もどっかいっちゃったりして。
びびるなーもォ。また探すとこからだよー、みたいな。
でも一回みつけたからね。
最初より早くみつかるよ。
ちょっとアシに傷入っちゃってアンティーク風になった
それに、また座りゃいいんだけどね、別に。
その椅子に、他の人が座っちゃうってことはないから。
みんなひとりに一個づつ、自分のがあるはずだからね。

それ、みつけられるか、られないか、だよね。
         で、
その後座り続けるかどうか決めるだけだもん。

わたしは、ずっこけですが。 先へ進みます!

朝ごはん

 

ここのところ、物思いにふけり
ぐぐぐぅっと自分の世界に入り込んでいたので、
ほとんど人間らしい生活をしていませんでした。

何日も外へ出ず、じっと引きこもり、
石のように動かずひたすら本を読み続け、
水と少しの糖分だけで暮らしていました。

電話にでない。  メールもみない。
人に会わない。  誰とも話さない。

それでも。
とうとう師匠は何も言わなくなりました。
ああ。 人からこうして、
私を諦めてもらうことの、
なんと心地良いことよ。(笑)

さて。もう心の重荷はとれて、
今朝は晴れやかな気分。

ちゃんと朝ごはんを食べよう。

フランスのカシスマスタード。
いただきものでとってあった
可愛いピンク色のあれを試してみよう。
どんなかな?

トーストにぬって。ハムとレタスをはさんで。
師匠のコーヒーをちょっともらって。

ゆっくりよく噛んで、いただきました。
少し大人っぽい味がして、おいしかったです。

小学館 ラピタ 忘年パーティ

 

毎年恒例のラピタのパーティにお邪魔しました。

久しぶりに外へ出たら、くらくらしました。(笑)

しかもいきなりパーティ。
人酔いしてしまいました。

会場で、大好きな子に会いました。
彼女は私の、宇宙でたったひとりの、心の親友です。

一度お別れした恋が、最近ふたたび戻ってきたそうです。
私は彼女のその恋の行方を、静かに見守ろうと思います。

メリークリスマス

 

Sさんという方から
「何があっても大丈夫。私達イチゴファンはついていきます!
 ずっと見守っていきます!」
というような内容のメールをいただいた。
     うれしかった。
特にどこがというと…
「わたしたち」となってるところ。
この人は、自分だけの気持ちを
表現してるんだろうと思うんだけど
ほかにもきっと同じ気持ちのファン仲間がいるにちがいないと
無意識にでもそう信じてるあたり。

何か心強くなる大切なものをいただいた気分。
ありがとう。 これからも、みなさんのためにも頑張ります。

この言葉を、サンタが私にくれた今年の
クリスマスプレゼントとしよう。

Aちゃんからのグリーティングカード。
サンタがバイオリン弾いていて可愛かった!ありがと!
Nくん。いつも励ましてくれてありがとう!
Hさん。 どんな時も味方だよ、とメールくださってありがとう。

とてもいい気分になったので、
街のクリスマスの様子を見学しようと、
近所の三越デパートへ散歩に行ってみたら…
わあー…すごい華やか。
私は、きらきら華やかな世界がだいすき。
人々の幸福そうなオ-ラがあふれていました。

しかし、個人的にはあまりクリスマスがどうとか
気にしない私は、今日もまたこれからお仕事なのでした。
これぞサンタからの贈り物?  ふふふ♪

イヴの夜

 

交通事故にあった友達がやってきました。
自転車ごとバイクにひかれて
身体が道路に吹っ飛んでしまったそうです。

その人は「なんかちがうなー」という仕事を
我慢してずっと続けているので
移動のサインとしてそういうことが起きたように感じます。
このまま神様の信号を無視してると、いまにどんどん状況は
悪化し、さらに恐いことが起きるよ、と言ってあげました。

自分の忍耐力は、嫌いなことのためではなく
好きなことのために使ったら良いと思います。

なので、これはサンタからのギフトだよー、と言って
シャンパンで乾杯する時
「こーつーじこおめでとー」と言いました。(笑)

私はその人から本をプレゼントしてもらいました。
ありがとう。

はじめて会う人も一緒にやってきました。
友達になれそうな予感がしました。可愛い人だったので。

Hくん、Oさん、グリーティングカードありがとう。
Sさん、Mちゃん、Bくん、クリスマスメールありがとう。

秘密パーティー潜入ルポ 1

 

近所のMデパートから招待状が届きました。
「特別なお客さまをお招きする」
クリスマスパーティだそうです。

私のどこがどう特別か、まあそんなことは考えず
(笑)
とにかく参加してみることに。

世の中にこんなことがあるとは知らなかった。

デパート閉店後、パーティは始まりました。
各フロアごとにシャンパンやジュースやお茶など。

まあーーーっ!

おいしそうなオードブルやお寿司やケーキ☆☆☆

きれーですぅ~♪
      楽しいですぅ♪ 
           うっとりですぅ

潜入ルポ 2

 

本日の潜入隊、
師匠とヘアメイク島田万貴子とともに
まずはシャンパンで乾杯。

いろんな楽隊もあちらこちらで演奏を始めました。
優雅な気分。 セレブな気分でございます。(笑)

各階でたくさんの催しものがあり、どこへ行こうか
プログラムを見てたら…..

あっ! あれー?

「田中カールのファッショントークショー」って
なんじゃそりゃー(爆)

師匠が、よくファッション誌で仕事してる
モデルのカールさんでしたー。
まーまーこんなところで会うとは…
おひさしぶりですー。
カールさん、本番前でしたが「御無沙汰でやんす」
と、この顔で言ってました。

…やんす(笑)

潜入ルポ 3

 

マジックショーもありました!
ものすごい至近距離から見たのに
あ~ 不思議なことばかり。
なぜ、ハト? ハトはいったいどこから?
そして、またどこへ? ???

一番驚いたのは一円玉曲げ。
目の前でいとも簡単に、ぐにゃり、と。

え゛~~~~っ  どぉしてぇ~?

「あげます」と言われたので
記念にいただいてきました。

….つくづく思ったね。
人間の目なんていい加減だ、やっぱり。
簡単に騙されるし。
…見る商売してる自分としては、とほほだよ。
写真なんてロクなもんじゃねー とか
思っちゃったねぇ… ホント。(笑)
自分がたいそうなことしてると思ったら
大間違いだよなー。
全然いい加減な商売なのでした。(笑)
それをわかったうえで
進むことに希望を持ちたいと思います。

シャンパン…だいぶ飲んじゃったので
いい感じにふらふらしてきました。

帰りにお土産いただきました。
あーこれはいつもデパ地下で長い行列ができてる
あそこのバウムク-ヘンだあ!
それとポインセチア。
うーん、クリスマスなのねえ。 楽しかったです。

宴のあと

 

外に出たら、隣りの工事中のビルに
クリスマスイリュミネーションが…。

う~ん。
よくわからないけど、まあ
なんかこういうのはい~よなあ
考えつく、こころがい~よなあ
とか思いながら
てくてく部屋まで歩いて帰ったのでした。

都心のデパートから歩いて帰ってる自分も
なんかい~よなあ
と思いました。 ふらふらシャンパンな気分で。

ニックのこと

 

サンフランシスコ在住のニック。
彼が日本に住んでた頃知り合いました。
アメリカ人です。
お国柄でしょうか? 絶対に謝りません。(笑)
私が怒った時にも、必ず言い訳から入ります。
ブック作りの作業を頼んだ時も
「ちょっとーにっくー…3ミリもずれて汚いんだよ。
 もっときれーに貼ってよー。ピタっと合わせて!」
と怒る私に対して「OH-!イチゴ、ダイジョ-ブ」

….なあにがだいじょーぶじゃー!(バシッ!)

私がいつまでもぐちぐち文句言い続けてたら
「OH-!ダッテ、アメリカジン、ニホンジンミタク
 コドモノトキ オリガミ シナイカラ」

なんだとっ! てめーニック!(バシッ!バシッ!)

この調子で何十分もあーだこーだやって、
結局いつも謝るのはニックでしたけど。(笑)
だけどなぜか私達はもう何年もずっと仲良しです。
私はニックが大好きです。

日本では、しばらくうちのアシスタントしてました。
カメラマンになるのが彼の夢です。
日本人の女の子、みどりちゃんと結婚して
今はアメリカに帰ってるけど、カメラマン目指すなら
田舎に引っ込んでちゃだめよー、と
バカだのボケだのノロマだの(笑)さんざん言ったら
とうとう決心したらしい。
いざ!ニューヨークへ!
イエーイ!ブラボー! ニ-ック!!!
来春、ニューヨークへ引っ越すらしい。 やったあ!
みどりちゃんもアーティストなのです。
写真は、みどりちゃんの個展の時のものです。
そうです。 こんなものつくってます。
ペーパークラフトです。
「こわい」と思ってしまいますが…
彼女は「こわいものを作ってる覚えはない」と
言い張ります。 だからそれが真実なのでしょう。
私の目が、彼女の作品を見ても「こわい」と感じなくなったら
その時は撮らせてもらおうかな、と思っているところです。

これからのふたりの活躍が楽しみです!

まずは引っ越し祝いにニューヨークまで行くつもりです!
わくわく ♪ わくわく♪ わくわく

芹川事務所 忘年会

 

大掃除のあと、事務所内で忘年会をしました。
仕事や帰省の関係で参加できない役者さん達も
たくさんいましたが、馴染みの俊くんや不二子は
一緒に参加できました。

私は、一番最後に行ったのに、
はりきってエプロンしてゴム手袋はめて、
掃除やる気まんまんな感じをかもしだしていたら
「苺ちゃんー、あーたかっこだけはすごいねー」と
マネージャーの染谷さんに笑われてしまいました。
ほほほほほ(笑) すみませ~ん。
昔から、かっこから入る
うすっぺらい奴なんですぅ(笑)
よく見たら掃除なんて、もう
ほとんど終わってしまっていたのでした。(笑)

さて、宴会は楽しかったです。
みんなでこの一年を振り返り反省したり
来年の抱負を語ったり。
私は
「自分のやりたいことはこの一年で
 はっきり見えたので、来年はそれが
 確実にたくさんのお金をうむように
 頑張りたい。 私はプロなので」
というようなことを発言しました。

その後、噂にはずっと聞いていたが初めて見た!
社長の宴会芸!
うーむ….いろんな思いが一瞬のうちに交錯し
しばしひとりの宇宙に入りこんでしまった私。
うーむ…むぅ….

お開き後、俊くんと不二子と私の三人で
忘年会の二次会をやりました。
事務所近くの
俊くんおすすめのメキシカンバーで。
役者ふたりは演技のことや映画の話など
途中ヒートアップしながら話していたけど、
またしても私はひとり
ぼうっと自分の世界に入りこみ
ああ、人のことはわからないなあ、ますます…
とか感じていたのでした。

人のことはわからない。

私は今後さらに
孤独な世界に突入していきそうな予感です。
楽しもう。  自分だけの小宇宙。

ゆき

 

今朝、目が覚めてびっくり。
すごい降ってるー! ゆきー。
年末に降るなんてめずらしい。
ここは東京。 お江戸日本橋。

あわてて飛び起きて写真撮りました。

どう見てもこれは吹雪いて見えます。
(笑)
このまま降り続いたら、いったい
夜にはどうなるんだろう?
今夜もうひとつ忘年会があるけど
大丈夫だろうか。

そういえばゆうべ帰宅したら、発見。
化粧ポーチにしてる、私の大切な「あれ」が
…..まるで交通事故にでもあったかのような
崩れ方….ああ。 はさまって、しかも
つぶれてる。(笑)
帽子もとれかかって、無惨な姿に。

いそいで拾って帽子もかぶせて
いつもの場所に置いてあげました。

あー。 よかった。(笑)
こうでなくちゃ。

おどろいたなー。 なぜあんなことに?

歳末びっくり事故

 

ボルボのエンジンがかからない。
壊れたんでしょーか。
仕方ないので修理に出そうと
サービスセンターに連絡。

レッカーで運ばれるボルボを
部屋の窓からのぞいていたところ…
ワイヤーが切れて「あ!」という間に
後ろに駐車していた車にがしゃーん☆☆☆

おおおっ!(愕)

なんだなんだなんだーっ!?

あらら。けーさつがやって来てしまいました。
災難です。
私はすぐさま「師匠にやってきた信号かもよ」
と言ったのですが、
「違う。俺の災難をあの人が持って行ってくれた」
などとたくましいことを言ったりして…
確かに。 あのレッカーの人。彼が一番災難です。
こんな寒い雪の日に。 とほほな心でしょう。

でも日頃、自分の、あることに対して
ぶつぶつ言い続けてる
師匠の実体を知ってる私としては
実は師匠にやってきた大切な信号だと思います。

ただ、
自分はなんの怪我も責任もない事故だったので
そこが師匠の運命の特徴を表しているなぁとは
感じましたが。 たくましいのでした、師匠は。
危ういところでの切り返しがいつもうまいのです。

では私は…. これは自分にやってきた信号かどうか。
少しのあいだ、じっと考えてみましたが。

ぜえーんぜんまったく関係ないと思いました。
(笑)

でかいヒラメ

 

でかいです。
魚というよりは、ほとんど怪獣のように見えます。

釣った本人(師匠)は得意気に嬉しそうですが
ちょっと恐いです。(笑)

顔とか見たくないです。(笑)

が。
ものすごい美味しかったのです!
師匠がさばいてくれたのを
みんなで感動しながらいただきました。

自然界の弱肉強食の厳しさはたいへんなものですが、
その掟をくぐり抜け、今日ここまで大きくなるほど
長く生き延びてきたということは、これは驚異的なことです!

運が良いヒラメです。

人生(?)の最後に「おいしいおいしい」と
言ってもらえるヒラメ…よい一生だったと思いますが。
その命を自分の体内に注入できるこの幸せ。
私達も、これまた運が良いということです。

ヒラメからいただいたこのチカラは
けして無駄にはするまい。

合掌。 感謝。 感謝。

りっくんとれったん

甥っ子のりっくん、れったん。
おばあちゃん(苺ママ)が
「お肉切ってあげようか」と手を出したところ
7才になるりっくんは、きっぱり断っていた。

「だって、ボクが自分でやってみなきゃ」

その言葉を聞き、心のなかで
「そおだあーーーー!せぇーかいーーーっ!」
と叫んだ苺おばちゃん。

いーぞいーぞ! りっくん!
自分でやってみなきゃねー。わかんないよねー。
なにごとも。 よし。 きみはそのまますすめ!

それを見た弟、5才になるれったんは。
「あ-。ボクもねー。やらないとー」
と言って、私のコーヒーにミルクを開けて
入れてくれた。(笑)

ほらね。
これぞ私が思う、人と人の正しい連鎖反応だ。
言葉で何かするのではなく、人の善き行いを見て
それを自分で実践する。
相手に対しては教える方も学ぶ方も無言のままだ。

こんな小さな人間ができるのに。
なぜ大人ができない?

みんな忘れてしまってるだけなのだ。

おみやげちゃん

最近サイトを通じて知り合いになった
Uちゃんとデート。

前から行きたいと思っていた六本木ヒルズの
「ベジステーション」という健康バーへ。
ここはメイ牛山さんプロデュ-スのショップで
Uちゃんはスープセットなるものをオーダー。
私は、健康ドリンクを。
飲みやすくておいしかったです。

途中、パリ旅行から帰国したばかりの
モデルの久美ちゃん合流。
おみやげをいただきましたー。

Uちゃんは普通の方なので
久美ちゃんの可愛さにうっとりしていた。

「あたしはこれからパリジェンヌになるわ!」
と言っていた久美ちんよ…
ニューヨークにも行って来いよ、おまえ
と思いました。(笑)

2004最後の日

ゆうべは、
秋にやったイベントのフロアマネージャー
寺本氏からの
「お店でおそばをふるまうよ~」という
お誘いを受けて、青山まで遊びに行った。
(あ。その前に「ハウルの動く城」見ました)

店内の音楽がご機嫌で♪
そしてまた、寺本氏の格好が最高なのでした。
可愛い帽子とおさげ(!)髪と
キュートなマフラー。
惚れるねぇ~(笑)  話しててすごく楽しい。

私は基本的に、変わった格好をする人は
中身も絶対変わっていてほしいと願うタイプだ。
本物であってほしいと思う。
中身がちっとも普通なのに
外側だけ奇抜にしてる人を見たりすると
がっかりしてしまう。
一番心惹かれるのは、外側がまったく普通で
何も変わったところなどないのに
よくよく話してみたら奇人だったというような人。

ついつい期待してしまう。
私をひそかにワクワクさせてくれる変人たちよ。

さて。 今日でおしまい。 2004年。
いやー、いい年でした。
かなり「手ごたえ」のある一年でした。
心のなかでたてた目標はすべてクリアできました。
失ったものについてですが、今考えてみると
もうどれもいらないものばかりなので、
そういう意味では
失ったものなど何ひとつない年でした。
得たものだけが、今、この手のひらのなかで
きらきら残っています。

こんなに「よくやった」と思える年は初めてかも。
と同時に「全然自分はまだまだだ」と思えるのも。

まっすぐな気持ちで、未来に希望を持ちつつも、
自分をダメだと思える、不確かで幸せなこの感覚。

このサイトをつくってくれてるデザイナーの
阿久津ちゃんからいただいた
「2004年お疲れさまセット」(笑)
彼女の実家の庭から送ってもらったというゆずと
阿久津ちゃんおすすめの入浴剤。
これで今年のおしまいを飾ろう。

今日も窓の外は雪です。

いつもこのエッセイを
読んでくださってるみなさん。
ありがとうございます。
来年は、
ますます面白い言葉の数々をお届けできるよう
がんばります!
それには…私自身の日々の生活を、この人生を、
よりいっそう面白くしていく以外に
他に方法はないな、と。
そう思っているわけなのです。

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