妹の死と愉快な仲間たち
5/24 新月の晩、
家族が見守る中、
静かに息をひきとり、
妹が天国へと旅立ちました。
まもなく、
夜空に雷鳴が轟き渡り、
激しい雨が降ってきました。
合図です。 新しい始まりの。
お通夜、告別式、
すべて無事に終わりました。
お通夜には約700名の方々にご参列いただきました。
妹とは面識はないものの、最後祈りのチカラを通じて、
私と妹と家族を支え続けてくれたカヴンのメンバーに、
心より深く感謝申し上げます。
また、
妹の精神的な支えとなり続けてくれた、音楽家 永島浩之さんに、
棺の中に入れるための写真集を急いで仕上げてくれた、おのせちゃんに、
俳優 中山俊に、
女優 大峯麻友に、
小学館 今井田編集長に、
弔電をくださったカリヴァン博士、M社長に、
告別式でずっとそばにいてくれたYちゃんに、
親愛なる、やまちゃんとしずかちゃんに、
通夜、告別式にご参列くださったすべての皆様に、
この場を借りて、
心より御礼申し上げます。
軽井沢アリスの丘ティールームオーナー、
森村桂さんのご主人である三宅一郎様からは素晴らしい花輪を頂戴し、
そのことがどれだけ私を慰め、励ましとなったことか、
言葉では語り尽くせません。
本当に、
本当に、
ありがとうございました。
アリゾナ州セドナ在住の、本心さん。
スピリチュアルな導きをくださったことに深く感謝いたします。
最後に、
初めから一貫して私達家族の行く手を照らし、
守り続けてくれた天使たちに。
虹色に輝き続けてくれた、マチルダに。
すべてのエッセイ読者の皆様に。
妹の友人たちに。
ありがとうの心を捧げます。
妹は乳癌でした。
発見した時はすでに手遅れで、手術もできない状態でした。
亡くなる数日前。
風の強い日が二日間ほど続きました。
ベッドが置いてある部屋の窓の障子に映る
ベランダで揺れてる洗濯物の影と、
ゴォゴォ唸る風の音が、
不気味で怖かったのを覚えています。
亡くなる前日、
れったんは運動会で頑張ってかけっこで一等賞を取りました。
旦那さんからメールで報告があったので、妹の耳元で教えてあげたら、
力なく笑い「かっこい~な~」と小さく言いました。
その後眠ってしまった彼女の手をとり、
しばらく添い寝をしながら、
心の中で話しかけました。
もう好きにしなさい
ここまでよくがんばったね
すごいよ
私はあなたを誇りに思うよ
ここからはあなたの好きな道を選んで
まっすぐ進んでいくんだよ
どんな道でもおねえちゃんは受け入れるからね
みんなだってきっとだいじょうぶだよ
その時、きゅっきゅっと、軽く妹の指にチカラが入ったような。
不思議だな、心って。テレパシーで伝わるんだなと思いました。
今思えば、あれが私達姉妹のお別れの挨拶でした。
西日が奇麗な夕暮れ時。
黄金に輝く部屋でのさよならを、私は一生忘れません。
一度日本橋に戻りましたが、いくつかサインがあったので、
今夜か?明日か?と覚悟しました。
でも「明日は新月だから、いくなら、明日がいいよ」と
また心の中で伝えました。
翌日、新月。
午後妹の旦那さんから連絡あり。
今日はずっと眠ってるとのこと。
彼はとても心配そう。
呼吸に注意して見ていて、手足が冷たくなってくるようなら
すぐにお医者さんに電話するように、と指示して様子をみることに。
夕方、再度連絡あり。
顔が冷たくなって、呼吸が止まり気味になってきたから、
病院に連絡したとのこと。
わかった、いそいでいく
と返事して、すぐに部屋を出ました。
18:35
乗り換えのため地下鉄の駅のホームを歩いている時、
妹の迷っている感じのヴィジョンが見えたので、
いきなさい
扉を開けて
新しい世界へ飛び込むんだよ!
と声に出して言いました。
あの苦しい体のまま、
私の到着を待っているとしたら困ると思ったので。
最寄り駅からタクシーを飛ばして行き、
玄関に駆け込んだら、りっくんとれったんが泣いているのが見えて、
奥の部屋で妹がこと切れていました。
旦那さんも泣いていたけれど、
私は泣きませんでした。
悲しくはなかったので。
やったー
うまくいったー
家族全員見守る中で逝けたなんて!
すばらしいっ
大成功なタイミングだよ!この幸せ者が!
としか思いませんでした。
私がとても嬉しそうな顔をして、
「やったね~よくやった、えらいえらい」と妹の頭を撫でたので、
子供たちは一瞬キョトンとして、
それから、
部屋の中が一瞬で「なんだ~そ~なのかよ~」という明るいムードになりました。
亡くなったのは何時?と尋ねたら「ろくじさんじゅうごふん」と答えた旦那さん。
みんな、オレ腹減っちゃったな~ 夕飯食べてね~よ~みたいなことになり(笑)、
もりもりご飯を食べ始めたりっくん、れったん。
りっくんには、去年のクリスマスに「サラとソロモン」を渡しておいたので、
あれ思い出してよ~
わかってるね?
いま、かあちゃんどうなってるか
と尋ねたら、
「わかってるよ~ 魂は消えてないでしょ。かあちゃん、今もいるんだよね~」
なんつって笑顔で答えてました。
そうそう。それでいい。
あのね、死ぬって、もっと「普通のこと」だと知ってほしい。
特別なことじゃないんだ。
人間はいつから死についてこんなにも不要に悲しむようになっただろう?
私が今回、妹が死んでから見たものは大変興味深いものでした。
まず、ものすごい勢いで近所の友達たちが押し寄せてきました。
おんおん泣きながら。
一度けろっとした子供たちは、またその悲しむ大人たちの姿を見て釣られ、
不安になったり泣いてしまったり。
おーいっ!なんてことすんだよー
と、私。(驚)
もう夜中近くになろうという時刻、葬儀屋さんが打ち合わせに来ているというのに、
あとからあとから人がやってくる。
どやどやどやっと部屋の中に入って来て、おいおい泣いている…….
遺体にべたべた触りまくり。
布団までめくって、腕に触ったりまでしている。
「尊厳」なんていう言葉はどこにも見当たらず。
私からしたら、
どの人も泣きながらもとても楽しそう…
というふうにしか見えませんでした。
退屈な日常に突如現れた大ニュースに大興奮、って感じか。
ま、みんな驚きのあまりこんなことになってるんだろうと思いましたが、
なんとこの状態は、翌日も、またその翌日も続いたのでした。
一度来たのに、何度も来る人も何人もいて。
こわすぎです。
通夜の席はきちんと設けるといっているのに、
なんでみんな泣きながら部屋の中にまで入り込んでくるんだろう?
どこかにすぽーんとハマってしまってるんだろうなあ。
これまでの看病でくたくたに疲れている遺族を気遣う人は
ただのひとりもいないように見えました。
みんな自分の悲しいドラマにハマってる。
みんな自分が悲劇のヒロインなのだ。
妹を囲んでいた世界は、私のそれとはあまりにも違うと、しみじみ思いました。
これが地域社会というものか?
私にはできない。
ここでは生きられない。
死んでしまう。
….妹も死んだけど。
そこに根深い意味があると直感しました。
彼女は闘病中、誰も寄せ付けず、
ほんの一部の友人にしか自分の病気を打ち明けてなかったので。
妹は、本当は孤独だったのだと思います。
(そういえば亡くなる少し前そういう話をしました)
妹の生き方は、ちょっと芸能人に似ているなと感じました。
大勢の人に好かれはするけれど、本当の自分を見せれる人があまりいないという。
私が一番驚いたのは、
お通夜当日、
これからいろいろ準備が大変で気忙しいという朝のこと。
いきなり大人数でどかどかどかっと部屋に入ってきました。
妹が所属していたママさんバレーボール部の仲間の方たち…..
「しのが喜ぶと思って、正装で来ました!」と言って、全員ユニフォーム姿。
…………….。
「お線香あげさせてください」なんつってる。
この数?全員?
すごい時間かかりそう。今いろいろ忙しいのに。困ったー。
あのぉ…すみません。お通夜の席を設けてありますので、
お忙しいなか、恐縮ですが、そちらの方へお越しいただければとぉ…..
と申し上げたところ、
「すみません、では監督とまだ一度もお焼香していないメンバーだけでも」
と言ったあなたはキャプテンでしょうか?
あの、だから、お焼香は通夜の席で….と言いかける前に、
監督と呼ばれたおじさんが出て来て挨拶してくれて、お線香あげ始めちゃって。
少し前の私だったらぶち切れておじさんをベランダから投げ飛ばしていたかも。
遺体もなにもかもひっくり返し、大暴れで、台無しになっていたかも。
こういう真心持った誠意ある人達に「しかし君等それは違うだろ」と伝えるのって、
いったいどうしたらいいのでしょうか。
とても難しい問題だと思います。
しかし、私は気づきました。
付き合わなければいいのでした。
そうそう。
こういうのが死ぬほど苦しくて、私は今の世界まで逃げて来たんだった…..。
この人達は私の世界の住人じゃない。
私とは関係ないのでした。
そこまで冷静に思い立ったら、ホッとして、
「この人達は皆、妹の友達なんだから。妹のために泣いてくれてるんだから」と思い、
なんとか切れずに済みました。
よかったです。
妹の最期が私のせいで台無しにならなくて。
今日のエッセイのタイトル通り、妹の友達はみんな「愉快な仲間」と呼ぶことにしよう。
私には理解不能なユニークな存在たちよ…..
妹には、ニューカレドニアでお土産に買ってきたミッションローブを着せてあげました。
ピンク色の花柄の可愛いドレスです。
「天国にいちばん近い島」で買ってきたドレスで旅立ちだなんて。
話、出来すぎてる。
祭壇も奇麗で可愛い花祭壇にしました。
式場の入り口にロロおじさんから届いた大きな花輪を発見した時、
私はなんとも言えない不思議な感覚になりました。
「森村桂」という三文字が、まるで呪文のような….
ものすごいパワーと勇気が
おなかの底からむくむくと湧いてくるのを感じました。
お通夜には、約700名もの参列者…..
普通の主婦のレベルじゃないねと、
私達家族もびっくりでした。
こんなたくさんの人に慕われながら孤独だった妹。
やっぱり芸能人の生き方に似てるなと感じました。
もっと、孤独であることを楽しめばよかったのに。
妹は、普通の社会で生きることに決めて人生を歩んだので、
少しずつ自分の深い場所とのずれが生じてしまったのだと思います。
最後、よく言っていました。
「あたし、わかった。おねえちゃんの生き方が一番だよ。
一番楽だよ。これからはあたしもそうしよっと」
ふふふ….(笑)
告別式は雨でした。
お坊さんは涙雨だと言っていましたが、
私はまたちょっと違う感覚でした。
以前、ある人にみてもらった時、
「貴女たち姉妹は、水のスピリットなんです。
ただ、お姉さんの方は泉。水のある場所まで自分で移動して行って
水を汲まなければならない。それに対して妹さんは、雨。
いつも同じ場所にいても恵みの雨が降り注ぎます」
と言われたことを思い出しました。
雨。
きっと彼女の生き方だったのでしょう。
これが私の人生だったのよ、と言っているようでした。
告別式は、清志郎さんの時を思わせるほどの、
明るくパワフルなものとなりました。
永島浩之さんからのサプライズもいただき、
妹もとても喜んで天国へ行ったと思います。
さて。
私は今ものすごく新しい感覚。
辛く悲しいトンネルを抜け出たところ。
私が一番苦しかったのは、最期の一週間でした。
たくさん泣きました。
毎日泣きました。
声を殺して、ひとりバズタブの中で泣いていました。
愛の感覚と恐怖の感覚が交互にきて、
私はなるべくその触れ幅が大きくならないよう、精神集中しました。
毎秒、毎瞬、天使に話しかけていました。
とても心細く、怖い、暗い道を歩いていました。
でも、
この先に光りの出口があることを知っていました。
妹を励まし、家族を励まし、自分を励ましながら、
天の計画を信じて、一歩一歩、心をこめて進んできました。
過酷な状況の中にいる時、何度も、
目に見えるものだけですべてを判断してしまいそうになりました。
そうするととたんに怖くなってしまいます。
苦しんでいる妹を見て、自分も苦しんでしまいます。
苦痛のスパイラルにハマってしまいます。
けれど、
目には見えない、もっと深い場所で、
今何が起こっているのかにフォーカスすると、
愛の感覚が蘇ってきて、静かな気持ちを取り戻すことができました。
しっかり心をこめて妹を送ってあげたい
そう思える強い自分でいることができました。
世界は見えている通りではない。
私はまたひとつ、広く、高く、深くなったような気がします。
妹が見せてくれたものを、
妹の「愉快な仲間たち」が見せてくれたものを、宝とし、
これからを生きてゆきます。
6/21、永島さんのライブが横浜であります。
私は「愉快な仲間たち」に伝えたいです。
もしあなたがほんとうに妹を好きなら。
彼女が死んでしまって、
あんなに前後不覚になるほど泣いて悲しいのなら、
ぜひ永島さんの歌を聴きに行きなさい、と。
妹は、最期にもう一度彼の歌声を聴きたかったはずです。
「ライブに行きたい」と願っていました。
その願いを、あなたが代わりに叶えてあげるのが、
本当に故人を弔うということではないでしょうか。
辛い看病からやっと解放されて、
通夜、告別式までの時間、
家族水入らずで過ごし、
しみじみとする静かな時を過ごしたいと願う遺族の思いをよそに、
まるであなたがずっと妹とともに闘ってきたかのようにおいおい泣いて、
私達家族を飛び越し、妹のそばに駆け寄り….
それが、妹が喜ぶことだったでしょうか。
それが、本当の思いやりというものでしょうか。
何が正しいとか間違ってるとか、そんなことは私にだってわかりません。
ただ、
もっと違うやり方があるはずだと、私は感じています。
もっと関係者全員にとっていい形がきっとあるはずだと。
私は、妹の病気を知ってから、一度も
「早く治りますように」とは祈りませんでした。
「このことが家族全員にとって良き結果となりますように」とだけ、
毎日心を込めて祈りました。
彼女はここで逝く運命だったのです。
それを受け入れた私達家族は皆元気です。
精一杯送ることができました。
これが私達家族の形です。
どうか、
外側から見えることだけで物事を判断して、
自分の小さな常識の中にはまり込んで、
悲劇ドラマの主人公になって必要以上に嘆き悲しむことなきよう、
愉快な仲間たちにメッセージを送ります。
泣いてもいいと思いますが、
それは愛から発する涙であってほしいと思います。
苦痛や恐怖から発する涙であってはほしくないと希望します。
妹だけが特別な道を辿ったわけではありません。
私にも、
あなたにも、
おしまいの日はやってきます。
早く先に逝く人は、いつでもそのことを教えてくれます。
妹が最後、一番大切にしたものは、自分の日常でした。
家族と喧嘩もするし、
不機嫌にもなる、
笑いもするし、
泣きもする、
そんな何気ない日常の欠片たちを、一番愛おしく感じていたようです。
一日、一日を、噛み締めながら生きていたと思います。
もう家族の支え無しでは歩けなくなってしまってからも、
自分でトイレに行くんだと頑張っていました。
ほんの数歩歩くだけでも、息が上がり、足が震え、
それでも自分のチカラで歩くんだと、頑張って立っていました。
あの時、
妹はすでに目も見えなくなっていたのではないでしょうか。
手足の感覚も実感できず、
怖い中にいたと思います。
気持ち一発だけで生きていたのだと思います。
リアルタイムで見ている時は、私も苦しかったのですが、
不思議なもので、こうして今思い返してみると、
あの姿は「勇姿」そのものだった、かっこよかったなあ~と思います。
最期まで自分のチカラを使って生きるということを、
妹は私達家族に見せてくれました。
日曜日、
子供たちの帰りを待って、家族全員揃って、
みんなの顔を見てから出発したというのも妹らしいなあと思います。
妹の生涯は短かったけれど、
大切なのは長さじゃないと私は思うのです。
だらだら自分の人生を大切にしないまま長生きするより、
好きな人と結婚して、可愛い子供にも恵まれて、
好きなことやって好きなように生きた妹の人生は、
短くとも幸せだったと思います。
皆さんもどうか、自分の日常を大切にしてください。
カヴンのメンバーがこのようなメールをくれました。
今日、こんなことがありました。
個人的にここ何日かブルーで、
今朝も憂鬱っぽく洗濯物を干していました。
すると、何かがどこかで躍起になって
メッセージを伝えようとしていることを感じました。
ちりちりと、焦った感じで、懸命に。
やっと気づいて、「ん?」と耳を澄ますと
訴えてきたのは多分、志乃さんなのでした。
ーーー何気ない幸せを大切にして
ーーー日常の、淡々とした小さな幸せを感じて
瞬間、私は洗濯物を干す幸せを感じ直して涙ぐみました。
ーー面識のない私にメッセージをくれるんだね、ありがとう。
私たち、もう友達かもね。
(↑とっても勝手ですが。しかもタメ口。)
ーーーそうだね。
そう応えてもらったような気がしました。
全く、夢物語みたいな話。
でも、私がそう感じたんだから、そうだったんだと思います。
私は、お通夜も告別式もあまり泣きませんでしたが、
このメールを読んで久しぶりにおいおい泣きました。
このやりとりの中に愛を発見したからです。
だから思い切り泣きました。
みなさん、ほんとうにどうもありがとう。
これからも笑って泣いて怒って楽しく生きていこうね。
おしまいの日がやってくる、その時まで。
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☆永島浩之ライブ☆
6月21日(日)鶴見CLUBTOPS
開場17:00 開演17:30
料金¥3800(D代別・オールスタンディング・整理番号付)
申し込みはメールでの受付になります。
お名前・住所・連絡先・会場名・チケット枚数を明記の上、
nagachan@lime.ocn.ne.jp
まで。
当日は私が会場で写真を撮ります。
客席もたくさん写して、写真集を作る予定です。
みんな参加してください。
このプロジェクトを、みーんなのチカラで成功させたいのです!
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