写真家 夏野苺のブログエッセイ

天使と魔法と写真の日々

毎日のガイダンスをつぶやいてます☆

「敵わない場所」

人として、とても大事に思っていることがあります。

それは、日常の中に、

決して自分が「敵わない」と感じる場所があるかどうかということ。




これがある人とない人では、

精神的成長の度合いが大きく違ってくると思っています。




私は、

バカOLをやっていた頃には、

敵わない場所なんてありませんでした。

自分が天下です。

わがまま放題。

自分勝手なルールを会社のシステムにまで図々しく持ち込んでいたので、

どこの会社に入ってもすぐに空気悪くなるから、何度も転職の繰り返し。
(10年で10社変わってる。ははは笑)




誰にどう思われようと何を言われようと怖いものなんてなかったんです。




それが、ある時いきなり、

運命の神様(私にとっては写真の神様)に

「プロの現場」へと放り込まれてしまったので、

さあ大変!

これまでのことが何ひとつ通用しない世界の扉が開いてしまった!




生まれて初めて真剣に、

「私はこれまで一体何をやってきたのだろう」と心から思いました。




「必死」という言葉の意味もこの時期に理解しました。




「働く者食うべからず」の意味も、

この時期、身にしみました。




それまで人生にあぐらをかいて生きていた私でしたが、

プロフェッショナルな写真世界で、

毎日這いつくばって生きるようになりました。

その結果、昔とは比べ物にならないほどに、

現在、私の人生の日々は楽しく充実したものとなっています。



かみさまのなさることは、

恐ろしく、

厳しく、

素晴らしく、

何と美しく尊いことか、と思います。




けれど、

プロとして20年以上も生きていると、

本人も気づかぬうちに、

見えなくなってくることもあります。




「苺さんの写真は素敵」

「苺さんの撮る写真はやっぱり違う」

「苺さんに撮ってもらいたい」

「苺さんは最高」




言われれば嬉しい言葉たちも、

いつも鵜呑みにするままでいたら、

私の心の成長は止まってしまうでしょう。
(写真の腕も、です)




だから、人生には、

どうしたって「敵わない場所」が必要なんだと感じるのです。




その場所は、

最初は自分を苦しめながらも、

最後には花開く場所へと変わってゆくものだからです。




ある分野でトップに立ってしまうと、

周りの人からチヤホヤされたり、恐れられたりすることはあっても、

苦言を伝えてくれる人はいなくなります。
(陰口という形では伝わってくることもあるでしょうけど)





世界が広がるにつれ、

見えるものも増えていきますが、

だんだんと、

見えなくなっていくものも増えていくのです。



見えなくなっていくものの中には、

取りこぼしてはいけないものがたくさん含まれています。



人生の途中で、

それを取り返しに行く旅に出る人もいるでしょう。








人から何か注意を受けたり、

自分とは違う意見でモノを言われたりすると、

ムッとする人がいるとします。




その人はきっと、

自分の周りにいる、自分と同意見の人たちの前で、

ああだこうだ自分の正しさを披露したくなるでしょう。

今の時代だったら、個人発信しているSNSなどで、

自分の考えを朗々と書きたくなるかもしれません。

「あの人はああだけど、違ってる。私はこうだ。この方が真理でしょ」と。




その時に、

「結局は自分もあの人と同じだな。どうしても自分の方が正しいと感じるし、

 それを誰かに伝えずにはいられない。あの人も私も同じなんだわ」と、

心密かに自分を笑えるならいいのですが、

残念ながらそう自覚することは、なかなか難しいようです。

人気者であればあるほど、難しくなるのです。

同じことをしているのに気がつかない。。。。




エッセイを書き続けている私もまた、

ここは度々ハッとするところでもあります。




つい忘れてしまうことを丁寧に思い出しながら日々進みたいと思っています。




そんな私が、一昨年から続けて「敵わない場所」に出会いました。

ふたつあります。

ひとつは、舞い。もうひとつは、お芝居です。




ふたつとも、私にとって、とうてい敵わない世界です。




舞いも、芝居も、稽古をつけてくれる人は、

私が超えることなど想像もできないくらい、遠く、高くに見えます。




ダメだなぁ自分、と思うことばかりだし、稽古しながら毎回、

どうにもならない悔しい思い、歯がゆい思いをたくさんしています。




けれどこのような経験をすることは、

私が驕り高ぶることの無いよう大きな壁の役割をしてくれています。


真摯な態度で挑まなければ越えることのできない人生の壁に向かって、


この先、いつまでも、必死になって生きていけるように。


人としてどこまでも自分の伸びしろに注目してゆけるように。




このエッセイを読んでくれている皆さんにとって、

「自分がその時に持てるギリギリの力を使って必死になれること」

って、どんなことでしょうか? 

たくさん恥をかいて、心が転んでしまうようなこと。

それでも、七転び八起きの精神で、挑み続ける場所。

あなたの日々の中にありますか?



必死に生きている人は、

どんな人も誰もが皆、道の途中なんだと想像することができます。

だから、

自分から見てとても奇妙に思える言動で生きている人のことは、

、、、、好きか嫌いかは別として。

、、、、理解できるかどうかも別として。

だけど少なくとも、受容することはできるようになると思います。
金子みすゞさんの「みんな違ってみんないい」の世界観ですne☆)







最後に、

素晴らしいメッセージをシェアします。

きっとこの人は、自分の職場を修行の場に、

自分の中にある暗闇を見つめながら進んでいるところでしょう。

その「必死」な感じが、とても尊いことだと感じます。

ーーーーー
今日は職場でとても落ち込むことがあり、初めて泣いてしまいました。
実家に帰って美味しいご飯をいただいて塩風呂に入って少しずつ浮上中。
ただただ受け入れてくれる家族の存在を、
有難いなぁ、何にも代え難いなと感じました。
そして、落ち着いて、最近の私をよくよく振り返ってみて
思えば
とても疲れていそうに見えるからと
愚痴っていいよ
何でも言っていいからね
と善意で言ってくださった先輩方に話をしているうちに
他の誰かを責めてみたり
自分が正しくて相手が間違っていると主張してみたり
話していても全然気持ちは楽にならずますます嫌気がさしてくる
だけど
そう感じているのにあっという間にそのループにはまり込んでいってしまって
今日、ビンタをもらって
我に返った気持ち!笑
言葉は呪文。自分の発する言葉には気をつけて。
私が今日受け取ったものは、自分自身が発したものなんだなと、いま感じています。
自分の違和感をちゃんと見つめていたら、
そのことをきちんと見つめて、気分や行動を方向転換できていたら、
こんな大きなビンタはやって来なかっただろうと思います。
起こった出来事からどんなギフトを受け取るか、
魔法学校で苺さんが教えてくださったことをまさに実践する時です。
とメッセージを書きながら、だんだんと整理されてきました。
ここをしっかりと乗り越えることができたら、
私のこれからの人生でもとても大切な学びになると思います。
苺さん
いつも、ありがとうございます。
愛と感謝を込めて。
ーーーー


ありがとう。

私からも、

愛と感謝を贈ります。
夕暮れの三日月