「小さな声」
昨日のエッセイで、
天使の声が初めて聴こえた時のことを書いたけど。
左耳からって、
「そういうふうに感じた」ことをね。
言葉だけで正確にすべてを説明するのはなかなか難しい。
ドリーン博士の本には「内側から響く感じで」とか書いてあって、
まあ、そういう感じの時もあるけれど、
まるで隣に誰かいるように聴こえる時もあります。
そういう時は、
実際に一緒に居る人に「今、何か聴こえた?」と確かめてみたりするけど、
ううん、聴こえないよ?
と言われるので、やっぱり私だけに聴こえてるんだなあと思います。
いつか「うん、聴こえたよ」と平気で言う人に巡り会いたいです。ふふ。^^
こういうことに関して、たとえば、
「大天使ミカエルの声が聴こえてたジャンヌダルクは精神疾患の患者だった」
とコメントする学者さんもいるいるらしいのですが、
もし私が病気だったとしても仕方ない。
それでも今、とても困ることも怖いことも何もなく、
むしろ自分の人生は楽しいから、私はこのままで問題ないです。
それで、仮に、
私に聴こえているのが「天使の声」だとして。
その声はとても小さいのでした。
静かな場所、時間の中でしか聴こえない。
でもそれは、
雑踏の中では聴こえないとか、そういうことではなくて、
自分の心が静かであること、という意味です。
心が静かって、つまり落ち着いてるってこと。
心がざわついてる時、、、、たとえば、
焦ってる、怒ってる、極端に怖がってる、落ち込んでる、
または舞い上がってはしゃぎすぎてる。
そんな時は聴こえてきません。
あと、
ものすごい疑い深い人が近くに居ても、なぜか聴こえなくなる。
大きな失敗をして、深く落ち込んでいる時もあまりよく聴こえない。
反省しているつもりが、実は自分を責めてたり。そういう時は聴こえない。
内省することと、深すぎる後悔は違うから。
ひとりで静かに瞑想でもしている時が一番聴きやすいです。
天使の声は、どうやら心で聴くものらしい。
どこから聴こえてくるように感じても、
聴くために使うのは心の力だなと思います。
でも、力みすぎてはいけない。
力みすぎているのは心が割れている証拠。
割れた心のままでは望みを叶えることも、
聖なる声を聴くこともできません。
天使は、
私たちに心を静める姿勢を持たせるために、
わざと小さな声で話すのかもしれない。
小さな声の人が「あの、、、」って何か発言しようとしたら、
「ちょっとみんな黙って!」と、
その場にいる人たちが協力しあって、一瞬、シンとなるような。
たとえばそんなこと。
問題に対して騒いでいる私たちの心の状態を止めるために
的確な音量で語りかけてくるというか。
だから「どうしても天使の声が聴いてみたい」という人は、
まず心を静かにすることから訓練するといいと思います。
昔の私はかなり怒りっぽく、
瞬間湯沸かし器のごとく一気に感情が爆発するタイプでしたが、
天使の声に耳を傾けることを習慣にしてからは、
そういえば、あまり怒らなくなりました。
今もし聴こえなくなることがあるとしたら、
何か不安を抱えている時。何かを恐れている時。
そういう時は聴こえなくなります。
聴こえなくなることで、自分の心が乱れていることがわかるので、
そんな時は天使の声がどうとかいうよりもまず、
自分の心の中心に戻ることに集中します。
落ち着いてくればまた、自然と聴こえてくるようになるので。
なぜそうなのかは、わからないけれど、
そういうふうにできているみたいです。
★本日のおまけ写真★
出産直後に、先日のまほうshopでお買い物してくれたママさんから、
素敵なお写真が届きました!
わーん!ベビちゃんの隣に、私が創った魔女さんがいるぅ☆
以前お買いあげいただいたものですね。。。。
出産の時に、病院に持って行ってくれてたんですね。。。
感動で胸いっぱい。涙こぼれる。 ありがとうございます。
こんなふうに、こんなふうに、
私の創る世界を大切にしてくれてる人がいること。
ほんとうに、ほんとうに、心から感謝いたします。
そして、ベビちゃん! 人生へようこそ!
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