ふたたびのこと
また、きた! かも。
前は「そういうこと」だと気づかなくて失敗した。
あれは「ああいうこと」が起きたのではなく
「そういうこと」に過ぎなかっただけなのに。
なぜあの時、あんなふうに思い込んだりしたんだろう?
目的を見失ってはいけない。
目的のために「そういうこと」が起きるのだから。
勝手に「ああいうこと」なんて思い込むのは二度とやめよう。
今度はうまく切り抜けよう。
それからゆうべ、友達について新しい発見があった。
その人は優しすぎて少しバカみたいと思っていたんだけど、
影ではちゃんと残酷なことをしたりしているんだ、
ということがわかって、なんだか安心した。
人間は、残酷さを内包している生き物だと思う。
そこを、消してしまったり押し殺したりせずに生きていける人に
私は魅力を感じる。
それが、自然な形だと思うから。
じゃ、残酷なことをしてもいいんだ、というわけではないんだけど。
なんていうか… そこを「わかってる」だけでも違うと思う。
もしも
「私は残酷なことが嫌いだし、絶対にしません」
なんて言う人が現れたら、私は「要注意!」と感じるだろう。
ちょっと信用できない。こんなことを、ちゃらっと言う人は…
だって、
何かの命をもらい続けてしか生きられない私たちは
まず、もうそれだけで、
とても残酷なことの上に成り立っていると思うので。
まあ、それでもこれは「ある意味」という角度から見た話にすぎない。
どういう解釈をつけるか、意味づけをするかは個人の違いだから
ちょっと、外側の話になる。
「残酷」ということもそう。
でも、
起きてることは、ひとつ。
世界はくるりとまあるい。
もっとまんなかを見ると、そこには残酷どころか、なんにも…
なぁんにも、見えなくなる。
ややこしくなったら、いつでもそこに立ち返ろう。 何も見えなくなる、あの一点に。
真実は、あそこにしかないと思うから。
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