「たったひとつの世界」
★今日のエッセイは、
自分の覚書として書き記しておきます。
何が書いてあるかわからない人も多いかもしれませんが、
もし、たったひとりでも、
「!」と心にフックがかかる人がいたら嬉しいです★
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「いろんなことに興味がありすぎて。
あれもこれもやって。。。
それっていいんでしょうか?」
というような質問をされた時、
ちょっと答えに困ってしまう。
なぜなら、その質問が生まれた場所と、
私が生きている場所が、
おそらく違っているのだろうと感じるから。
なんて答えたらいいのかな?
せっかく尋ねてくれたので、
できれば納得してもらえるような答えを渡したいとは
思うのだけど。。。
見ているところが違うと疑問に思うことも違ってくるし、
同じ言葉でも違う受け取り方になってしまうはずだから、
まずはその人がどんな場所からこの質問をしているのか、
知る必要があるんだろうな、この私が。
で、
探してみたところ。
たぶんここかな?という違いを見つけた。
それは、
浅い場所、深い場所、
低い場所、高い場所、
暗い場所、明るい場所、
全体という場所、部分という場所、
見える場所、見えない場所、
というような、
どこに心を置きながら生きているかという場所の違い。
★どちらが良いとか悪いとかではなくて、ただ「違う」ということ★
この違いはとても重要。
どこに居るかで自分の世界は変わるから。
冒頭の質問に戻ると、
「いろんなことに興味がありすぎて。
あれもこれもやって。。。
それっていいんでしょうか?」
見えている世界だけで理解や解決を図ろうとしていると、
こういう質問の仕方になるのかな?と思うのだけど。
どうかな。
その「いろんなこと」や「あれもこれも」は、
きっと表面的にはみんな別々の事柄なんだろうけど、
本当に別々の、全く関係ないバラバラなことなんだろうか?
深い場所や見えない場所において、
それらは繋がっている、、、というか、
実はたったひとつのことだった、
ということはないだろうか?
え?
どこがどうひとつなの?
と思うようなことのなかに、
普遍的なものを紐付けて、
全体としては別世界に見えても、
部分的な同一性を発見していく試み。
ということを極めていくことに、
人生の醍醐味はあると思う。
ここまで思いが及ぶと、
何をしても、どこに居ても、誰と関わっても、
いつもたったひとつ、
「自分の人生を生きる」ということだけに集中できる。
あれもこれもとか、
いろいろあってとか、
そんなふうには感じなくなり、
「たったひとつ」が、
様々にその時々で、
色を変えたり形を変えたりしていくだけで。
頂いたような質問は、
もはや生まれない道を歩いていくことになるのです。
それでも、例えば私が、
この質問が生まれた場所はどこかな?と想像できるのは、
かつて私も居た場所だから。
きっと誰もがスタートを切る、
同じ場所だから。
★本日のおまけ写真★
天使からの「慰めのギフト」として受け取ったいちごサンド。
(あるいは「励ましのギフト」かな?^^)
なぜ天使からの?という説明は長くなるので、
いつかエッセイに書くかもしれないけど、いまは読者のご想像にお任せします♪
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