Healing

“ 無理に頑張りすぎるのをやめない限り
  状況は変わりません
  やめることで癒しの光りがあなたに介在することができます
  まず第一に「何が悪いんだろう」と思い悩むのではなく
  全ては与えられたもので
  あなたの道を進むように導かれているのだということを
  忘れないようにしてください ”
去年の終わりあたりから、ある本をずっと読んでいて、
そこに今日は、こんなことが書いてあるのをみつけた。
『どんな出来事も、それがなんであっても、
 その裏に、より高い理由がある。
 悪いことが起きるのは、
 自分が悪いから、罰せられてるからではない。
 多くの出来事は、より大きな秩序に基づいて起こるのだが、
 人がそれを理解できないだけなのだ。
 何が起ころうとも、
 ネガティブな意味しか感じることができなくても、
 全ては愛することのレッスンになる。
 まったくどのような場合でも。
 たとえレッスンの内容を知らなくてもかまわない。
 たいていの場合、レッスンがなんであるのかわからないのは、
 学んでしまうまでは理解できないものだからだ』
私は時々、家族や仲間がびっくりするような、突拍子もないことを
言ったりやったりすることがある。
「なんとなく」とか「直感で」とか、そういう言葉を使うけれど、
その瞬間は他人に対してあまり説得力を持たない。
でも、自分でもどうしていいのかわからないのだ。
私自身「?」と感じることだってあるから。
だけど私は内なる声を無視しない。
いつでも自分の直感に従ってきた。
その結果悪いようになったことはただの一度もない。
振り返るとこの人生は奇跡の連続だったように思う。
もし私が、
理性の声に負け、
常識の枠に捕われ、
内なる声の通りに動かなかったらここまでは来れなかっただろう。
このやり方以外、
どんなふうにしてここへ辿り着けばよかったのか、
全く思い浮かびもしない。
私はいつも行動が一番先にくる。
体験が最初で、
理解や正しい知識は後からついてくる。
「これはなんだろう?」と思っていると、
しばらくして、教えてくれる人が現れたり、
知りたいことが書いてある本をみつけることができたり、
躍起になって探さなくても自然と必要なことに巡り会う。
きっと誰の人生も同じようにプログラミングされているのだと思うけれど、
(宇宙全体の仕組みがそうなっているという意味で)
ただ、個人差が出るのは、
突拍子もないことが内側からサインとして沸き起こった時に、
まったくその通りに動けるかどうかの違いがあるからだと思う。
自分でもびっくりするようなことが心の底から聴こえてきたら、
たいていの人は、不安になって、怖くなって、人からどう見られるかも気になって、
なかなかその通りには動けないかもしれない。
大いなるものからのガイダンスはどんな人でも受けられる。
興味を持って、しかるべき訓練を重ねると、
そのチカラはますます圧倒的なものとなる。
しかしたとえば、私の見解では、
先に本を読んで膨大な知識を手に入れた人ほど、
ガイダンスを受け取りづらくなっているように思う。
しかるべき訓練とは、頭を使うことではない。
心と精神を鍛えてゆくことだから。
ひとつガイダンスを受け取ると、また次のガイダンスがやってくる。
ある課題を消化できると、別の、もっと高いレベルの課題がやってくる。
人生は障害物競走のようだ。
生きている限り「これでよし」は、ない。
ガイダンスがやってきているのに
受け取れない、あるいは、受け取らない、
という場合、そのこと自体は別に何の問題もないけれど、
人生はそこで一度停滞する。
進んでいるように見えても、
スピリチュアル面では停止した状態になる。
なんとなく最近、
面白くない、だるい、面倒くさい、元気がでない、落ち込みがち、
そんな人は、人生が止まっている可能性が高い。
それは、目に見える領域で、
どんなに仕事が忙しく、予定がいっぱいの毎日でも、関係ない。
その人の人生は止まっているのだ。
逆に、たとえ、
仕事がない、暇だ、予定もない、という人でも、
どこかワクワクし、心は元気いっぱいで毎日を送っているのなら、
その人の人生は加速している。
自分の本当に行きたい場所を目指して動いている証拠だ。
その場合は、
いかなる方法であっても(本人が気づかずそうしてることも含めて)
例外なくガイダンスを受け取っているのだ。
ひとつの課題を消化できないまま、次の課題に進むことはできない。
それは正しい順番でやってくる。
人は、同時にいくつものことは、こなせない。
もしできていると思うなら、それは、
本当の意味において「心をこめる」ということをまだ知らないのだ。
あなたの心はひとつしかない。
魂もひとつしかない。
あなたの身体もひとつしかない。
その「瞬間」においては、
たったひとつのことにしか向き合えないのだ。
だからこそ、
世界を俯瞰から見つめる
大いなるものからのガイダンスが必要なのだ。

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