「シアワセのカタチ」
昨日、外食していた時のこと。
隣のテーブルに座った親子四人の「家族劇場」が面白くて、
つい、耳を傾け、聞いてしまった。。。。
事情はわからないけれど、どうやら、パパとママが喧嘩中らしい。
小学生くらいの男の子と、幼稚園くらいの女の子。
間で黙ってご飯食べながら、怒ってるママの話を聞いてる。
パパは時々言い返そうとするけれど、ママの反撃に負けてしまう。
ごめんなさい、私はもう、おかしくて。おかしくて。
だってね、
幸せでしょう?親子四人で年の瀬にみんなで食事できて。
あのママは、目の前のことが何も見えていない。
怒りながら食べたら、どんな味かもわからないだろう。
今、美味しいものが目の前にあって。
それを食べるお金もあって。
家族みんなが健康で。
それ以上、何を望むんだろう?
「いま」はビュンビュン過ぎていく。
もう二度と戻ってはこないのに。
あのママは、過去と未来ばかり見て。
今を見ていない。
「〇〇の時、覚えてる?あれは腹たったわ〜!」
「じゃあ、〇〇になったとしたらその時どうするの?!」
ママは、そんなことばかり話してる。
幸せすぎるんだな、この人。幸せすぎて、心が暇なんだな。
聞いてて、そう思った。
ママは相当怒っていて、パパが何を言っても腹が収まらないみたいだったけど、
その腹は自分で収めなきゃ、誰も収めてなんかくれないよ。。。。
でも、きっと、パパに収めてほしいんだよね。
なぜなら、、、パパのことが好きなんだろう。
幸せの形は人それぞれだ。
私には、どんな人の、どんな形をした幸せもよく見える。
幸せの本質を理解しているから。
表面の形がどうであれ、
幸せというものがよく見えるのです。
だから、
隣のテーブルで喧嘩してても、私のご飯はまずくならない。
やっぱり、
私も幸せなのでした。
そしてここがさらに重要なんだけど、
ママがあんな風になってるおかげで、私は今日このエッセイを書くことができた。
彼女は、
見ず知らずの、隣のテーブルに座った女に、
自分の怒りをネタにされてるとは夢にも思わないだろう。
私に対する影響だけではなく、
私の書いたものを読んだ人たちも、
またそれぞれの場所で何か思ったり感じたりするはずなんだけど、
自分の怒りがそんな風に使われるとは、あのママには全く想像もできないことだろう。
人生は面白い。
こんな風に知らないところで思わず「人の役に立つ」こともあるから。
だから、
正しいことだけが人のためになるとは限らない。
正しいことだけが幸せを生むとは限らない。
そのことを、今日のエッセイを読んでくれた人には、覚えていてもらいたい。
ある日、ある時、自分がね、
ものすごく情けないとか感じたとしてもね、
それでもいいのです。
そのことが、
宇宙のどこかで誰かの何かに役立ってることがあるかもしれないから。
その時の自分を思い切り表現してください。
泣きたい時は泣いて。
怒りたい時は怒って。
みっともなくても。
だらしなくても。
そのままいきましょう!
私は心の中で「ありがとう」と言いながら席を立ちました。
あの家族が、どうか、いつまでも幸せに喧嘩していきますように!
(パパ、がんばって〜)
人生こんな感じでいくのがいいよね〜!
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