「救いの手」
久しぶりに線を引きながら読書。
久しぶりにといっても、たぶん、自分の記憶では、
過去にまだ一冊しかないような。線を引いてまで読んだ本。
基本的に、線を引いたり書き込みしたりページを折ったりするのは
好きじゃないので。よっぽどじゃないとそうまでしたいと思わない。
今回の本。読むのは二回目。
二回目で初めて線を引きたい気持ちになったので、
赤いペンで心に響く言葉に印をつけながら読み終えた。
折ったページもある。
なぜそうしたかというと、
ここに書いてることを読むだけではなく、本気で実践しようと思ったから。
以前に読んだ時、
「知ってる」「もうわかってる」「もうやってる」と思いながら読んだことを覚えている。
でも今回再読してみて、
「まだ足りない」「わかってはいるけど100%はやってなかった」
と反省する箇所が幾つもあった。
そう、知ってるだけじゃだめなんだ。
実際にやってみるということが、どんなに大切なことか。
私は、100%よしと思えるところまで、この本と一緒に歩いてみようと思う。
この本には、あることに対して著者が何度も断言する箇所が出てくるけれど、
それが本当かどうか、ぜひ試してみようと思う。
本当だったということが私の人生を使って証明できたら、
このエッセイで本のタイトルを発表するので、お楽しみに!^^
というか、
皆さん、そういう本、持っていますか?
もし持っているというなら、ぜひ実際に書いてる通りに行動してみて。
私の本、「毎日1分!朝のおなじない」もそう。
あそこに書いてることをやってみてね。
やり続けると、ある日、びっくりすると思う。
「あれ?あそこにいたはずなのに。いつのまにかここまで来てた!」
ってね。
私は、
5月からの三ヶ月間、サンマーク出版が主催する、
「本気で著者になる」ためのゼミを受講していて、
苺さんはもう著者なんだから受ける必要はない、
という声も関係者から聴こえていたけれど、
どーしても受けたくて、参加させてもらっていた。
30名ほどの参加者の皆さんは、どの方も素晴らしく、
その中でも特に仲良しになった人が数名いて、
参加してとてもよかったと思う。
授業内容もとても面白かった。
けど。
なんというか、また、はっきりしてしまったことがある。
それは、
なぜか私は真面目になろうとすればするほど自分を発揮することができなくなる
ということ。
あれは、どうしてなんだろう?
さっぱりわからない。
真面目に何かを考えたり真面目に人と足並みを揃えようとしたりすると、
私が私でなくなる。
だから子どもの頃から学校という場所が大嫌いだった。
でも、ゼミって、学校だよね?
学校嫌いなのになんで「どうしても受けたい」って思っちゃったんだろう???
ゼミでは、毎回3分間のプレゼンタイムがあるんだけど、
これが苦しくてもうマイク持ったまま死ぬかと思った。
自分の講演で2時間話すのは大丈夫なのに、
なぜあのたった3分のプレゼンを私は満足にできないのか。。。。
皆さんとてもお上手なのです!
講師を本業としてらっしゃる方、職業柄セミナーをよく開催してらっしゃる方、
びっくりするほど話すのがうまい!
(現役のアナウンサーの方もいらした!)
そこで私はというと、「あれー?」とあっけにとられているうちに自分の番がまわってきて、
さっぱり要領の得ないことばかり喋って三分が過ぎ、笑いの渦の中で終わる、みたいな。
(どうしてあの場であんなことを喋ったのか、いま思い返してもさっぱりわからない)
そういう意味では、私は全く自分と関係ない場所へ出かけていってしまったような気がして、
終わってからしばらく落ち込みモード。
いや~、不思議な時間だったなー。
まるでわざと成功しないように天使のチカラが働いていたような。
でも、じゃあ、
「参加しなければよかった」と思うのかというと、けしてそんなことはなく。
やっぱり「参加してよかった」と感じるのは何故だろう?
ホント、不思議な時間だったとしか言いようがないけれど。
関係者には「たいしてやる気もないのにノコノコ出てきて」と思われていたら悲しい。
ああ。。。。
そう思うと、今でも暗く気が沈む。
そのことをある人にメールで伝えたら、
「プレゼン、そうだったんですね…。
でも、苺さんが自信を無くしたあとって いつも飛躍してますよ。
ずっと見てきて、いつもそうでしたよ。 今回も間違えなくそうでしょう(^^)」
という返事が返ってきて、
いま私はハッと目が覚める思いのなか。
ちょっと、
笑いたくもなってきました。。。。。
あの、あまりにも、
芸術的にヒドすぎるプレゼン。
さて、
天使はいま、どこに?
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