限りなく丸に近づく私
昨日、一日中人形を磨いていたら
夜、ひどい頭痛と吐き気。
今は関節部分の球体を作っているので、
これをいくつもやってるともう意味がだんだんわからなくなる。
なに作ってんだっけな? って。
それに、まる って難しい。
絶対完璧な丸になんてならない。
そこをなんとか限り無く丸に近づけていく作業。
これはまず、心を丸くしなきゃだめだなと思う。
自分がまず、丸くならなきゃ。
丸そのものに。
それでようやく
手の中の粘土も丸に近づいていく。
作りたいものがあったら、まずはじめに自分が“それ”になることが大切。
内側を作らずして、外側の理想だけ追い求めてもまったくダメなんだなあ。
途中で頭が痛くなった私は、丸くない。 まだ丸くない。
今日もまた朝から頑張ろう。
まるく まるく まるくなるために…..
人形創りで楽しい点なんて。
まあ、最後の顔を化粧するあたりとか、完成した時とか。
全体の作業に比べるとほんの一瞬だな。
あとは苦しいことばかりだ。
でも。
ただの一度でも、超えた感激を胸に刻んだ者は忘れない。
負けない。
苦難は超えられることを、知っている。
細胞が記憶している。
時間に例えると、
苦痛の方が長くても、
強さに例えると、
喜びの方が何倍も勝っているということを、
苦難の先には何が待っているかということを、
記憶している。
だから、
辛いことだらけの海原も
楽しい心で泳ぎきることができる。
やっぱり似てる。 というか同じ。
写真と。
撮るのは一瞬。
繰り返しやってくるたった一瞬のためだけに。
整える、生活のすべて。
心のすべて。
あの何百分の一秒のためだけに
自分の一生すべてを捧げているようなものだ。
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