2009.5.9 満月 バイバイキヨシ
いってきました、忌野清志郎告別式。
「青山ロックンロール葬」ってタイトルになっていた。
会場に入ってすぐ笑ったのが、
まるでコンサート会場のようになってたところ。
なんじゃこりゃ。
すごいな~ 葬式の概念をここまで変えられるキヨシ。
普通、葬式会場の床に紙吹雪は落ちてないだろう。
(笑)
私は彼のどこが一番好きだったかって、
それは、
ふざけすぎてるところ。 ものすごく同調できる。
実は私はとーってもふざけた野郎なので。
祭壇なんてすごい奇麗だった。
きらびやかで。可愛くて。ピンクで。
式の始まりはガンガン演奏して、本物のライブだった。
(ただひとつこれまでと違うのは、
キヨシがいないこと。姿は見えなくなっちゃった、ということ)
私はこれまで葬式はやらないと決めていたけれど、
やっぱりやろう。
葬式って、本人は死んでるんだしまわりは大変なだけだからと、
やっても意味ないと思ってたけど、
いや~葬式は残された人のためのものだから、
なんか楽しくなるようなものだったらやった方がいいなあ~
ちゃんと故人とお別れをして、また先へ進むためのけじめとして、
やっぱりやった方がいいと思い直した。
そうだ、
私が死んだ時のために、
みんなが泣きながらも笑っちゃうような葬式を考えよう!
(で、師匠に「この写真をぜひ遺影に」とある写真を渡して頼んだら、
もうそれだけで笑っていた。 よし)
告別式に最初から参加して、最後、献花をする時に、
私は黄色い薔薇を渡された。
それを祭壇に向かって真ん中あたりにお供えした。
サヨナラキヨシ、と心の中でつぶやきながら手元の写真を撮ろうとしたら、
カメラが急に変になって、ピントがボケボケになってとてもびっくりした。
それでもシャッターを切ったけど…
これじゃなにがなんだかわからない写真だ。
私にしかわからない記念写真になっちゃった。
外に出たら、これから弔問をする一般ファンの人で溢れ返っていて、
キヨシは本当に幸せ者だと思った。
こんなにたくさんの人に送ってもらえるなんて。
それだけのことを彼がしてきた証拠だ。
「早過ぎる死が残念」と言った人もいたけれど。
そうだろうか。
私は全然そうは思わない。
キヨシの人生は、とてもいい人生だったと思う。
大切なのは生きた長さじゃない。
中身だ。
どう生きたか。
それが一番大切なことだ。
決して忘れちゃいけない。
忌野清志郎は、
やりたいことは全部やって死んだと思います。
だから、
まだ若かったけれど、残念ということとは全然違うと思う。
夜、
オレンジ色の大きな月が東の空に昇ってきたあたりから、
深い瞑想に入りました。
受けたガイダンスは「光りへ!」。
そして「黄金のチャンス」のサインも。
…….そうなんだよ……
これは「チャンス」なんだ。
チャンスって、
掴むことが大事だ。
何をもってチャンスとするか。
そこが分かれ道なんだろうなあ…..
苦しい時ほど、まさかそれが「チャンス」だなんて思わずに、
いったいどれほどの人が素晴らしいチャンスを逃していることか。
チャンスと思えるなら。
感謝して、受け取ることができるのなら。
光りの出口に到達できるだろう。
目に見えていることがたとえどうであれ。
瞑想のあと、お菓子を焼きました。
「満月のお菓子」の完成です。
今回は、
プルーンと、おからと、くるみを入れた焼き菓子。
満月をモチーフにしたまあるいプルーンの部分は、
その時々の果物で、あんずに変えたり、いろいろ。
これで決まり。
最近は、出かける時、
バッグにお菓子を忍ばせて行きます。
いつでもどこでも小腹が空いたらパクッと。
今日も「満月のお菓子」を持って出かけました。
ついこの前、
以前大好きだったある店のお菓子を久しぶりに買って食べたら
びぃーーーーーーーーーっくりっ(驚)
甘過ぎて。
あんなに美味しいと思って食べていたのに。
砂糖の味しかしない。
もうあんなに甘いものは食べられない。
私はアリスの丘のナオちゃんの焼いたケーキと、
自分で作ったお菓子と、
カヴンのメンバーが時々作って送ってくれるお菓子しか、
もう食べられないのかも。
ま、
それでぜんぜんいいんですが。
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