魔法の使い方

今朝、mixi日記に撮影についてのことを書きました。
作品撮りに関しては、
とうとう本格的にもう一度フィルム撮影に戻すことに決めたので。
デジタル撮影は、
もし気に入らなくても
撮ったカットを簡単に消去できるし、後処理で全然違うものにも加工できる。
フィルム撮影は、
もし気に入らなくても
消すことはできないし違う画面に加工することもできない。
気に入らないものは気に入らないまま残ることになる。
フィルム代、現像代、プリント代、その都度お金がかかる。
どんなものであったとしても「なかったこと」にはできない。
気に入らないものがあるのなら、
今度は気に入るように変えていかなければならない。
それはそのまま自分と向き合う作業の連続となり、
その訓練の成果が作品の向上につながる。
というようなことを日記につらつらと書いたのだけど。
その直後、ある人がツイッターで私をフォローしてくれて、
その人のページを観にいったところ、もんのすっごい写真を観てしまった……
これは…..
これはデジタルだろうか!?
フィルムでの一発撮りだろうか……
だけどそんなことはもはやどうでもいいでしょう、というような写真だった。
その瞬間、私の中でまたひとつ新しい扉が開いた。
これまで私は、
デジタルの持つ「消してしまえる」という部分にだけフォーカスしていたけれど、
デジタルの持つ「可能性」に焦点を当てると、
世界が変わる。
そうだ…….
要らないもの、都合の悪いことを、なかったことにしてしまえる道具として使うのは
私は好きじゃないし、そこを利用したいとは思わないけれど、
もし、
自分の内面を表現するのに、どうしても足りない部分を補うために使うのだとしたら。
進歩のために正しく使えるのだとしたら。
これは素晴らしいことなんだろう!
一瞬で、
見える世界が180度変わってしまった。
機械があまり得意じゃないということもあって、
私はおそらくこの先も、極端にデジタル加工したものは創らないと思うけど、
人の作品を鑑賞する時には、どうやってそれが創られたかは関係ない。
観た瞬間、
打たれるか、打たれないか。
感動するのか、しないのか。
もうただそれだけでいいのだと思います。
何かを覆い隠すためにツールを使っている作品と、
無限の可能性を追い求めるために新しいチカラを使いこなしている作品は、
観てその違いを一瞬で感じられるんだなあ。
これまでは、
デジタル作品(かなり加工処理をしてあるもの)で良いと思えるものに
一度も出会ったことがなかったから気づかなかったけれど。
つまりは、絵を描くことと同じなんだな、たぶん。
カメラを持つか、筆を持つかの違いなんだろう。
とうとう驚きの一瞬を体験してしまいました。
世界は、広いです。
ただ、
写真というものを厳密に定義するとすれば、
私個人的には、フィルムこそ、と言いたいのは変わらない。
「取り返しのつかない」部分を抱え持ったままいくのが、
写真の世界だと思うので。
厳しい覚悟とともに進んで行く世界だと、思うので。
その厳しさの中を泳いでいくために、
私の場合、
心を訓練する方法として、
魔法修行を続けているのです。
すべては、
写真のためです。
だから、私の魔法の使い方は、おそらく、
どんな職業の、どんな分野の人にも、
当てはまる方法なのではないかと思います。
自分のやりたいことを貫くための強さを身につけたい
すべての人のために役立つ方法だと思うから。
本当の魔法のチカラというものは…。
 asanoomajinai-obiari(72)
(夏野苺の本☆ただいま全国書店で発売ちゅう)

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