播磨みどり 個展
行ってきました、みどりの作品を観に。
そっと観て、サッと帰ろうと思っていたのに、
作品の前でいつまでも動けなくなってしまった。
結局パーティが終わる最後まで会場にいてしまった私。
いくつかの作品を、ただただ、じっと眺めながら。
なにか話したいと思うけど。
言葉が出てこない。
人は、
本当に心が動く時には、なにも言葉がなくなるんだなと思う。
スカートをモチーフにした作品は、可憐でかわいらしかった。
たぶん本人はそういうことを表現したのではないと思うけど、
私の心にはそんな感じのものが飛び込んできた。
創り手とは違う、傍観者の勝手な視点。
写真の世界もそう。
だからこそ一致した時はまさに奇蹟だ。
(この作品は、スカートが無数の糸に吊られていて、浮いて見える)
パーティが終わってから、
ニックやみどり、残っていた数人の仲間達と一緒に
居酒屋へ行った。
ニックが箸を上手に使って、お刺身やおでんを食べる姿が
見ていてなんだか面白かった。
物凄い偏見だと思うけど(笑)日本人以外の人が和食を食べる姿って、
いつも新鮮。 思わずじっと見てしまう。
どうも馴染まなくて。 その風景が。
みどりと初めて話した、ように思う。 作品制作のことについては。
もうアートシーンのからくりが見えてしまったから、
いつまでもニューヨークに居る意味がなくなったと語る播磨みどり。
帰国も視野に入れてるそう。
私のなかに、さぁーっと風が吹く。
流れが変わる時独特の、あの感じ。
会って話してる最中には、風が吹いたからといって、
それでいったいどうなったのか、まではわからなかったけど、
夜、瞑想のなかでマチルダと会話。 心のもやが解けて消えた。
きっと私とみどりの、この世に求めているものが違うのだろう。
これまで、だから、私はどこかでいつも彼女を怖かったのだと思う。
けれど、ゆうべそれが何なのかがわかった。
話せてよかった。
話すとわかる。
これからは無意味に落ち込むこともなく、
まっすぐに播磨みどりの創り出すものを観ていけるだろう。
私とは違う、彼女。
自分の思いがここまでこれたのは、
人形を創り始めたおかげもあるだろうなと思う。
理屈じゃない。
この手で触ってわかること。
私にはこのやり方が一番だ。 どんなことでも。
しっかりつかむことができるから。
だからこそイザという時、今度は手放せる。
つかんでもいないものを、手放すことはできない。
みどりは今、一度掴んだものを手放そうとしているのかも。
手を放す時の潔さは、
誰のそれも、見ていてとても気持ちがいい。 かっこいいなと思う。
二度とふりかえらない。 あの感じ。
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