ギフト

昔、フィルムで撮影をしていた時代、
すごい怖い思いをしたことが、二度ある。
一度目は三國連太郎さんの、
二度目は不二子というモデルの撮影現場で。
私は、
同じ失敗を繰り返している。
一度目より二度目の方が大事になってしまった。
たぶん、最初の時に
それなりに怖い思いをしたとは思っていたけれど、
本当の意味ではわかっていなかったのだと思う。
だから、またやってきたのだ。
「チャンス」が。
知るためのチャンスが。
スチールスタジオで。
不二子、メイクも仕上がりスタンバイOK。
スタイリストもヘアメイクも、
カメラアシスタントも、スタジオマンも、
私も、
その場に居た誰もが高揚していた。
この撮影の仕上がりに大きな期待を寄せて。
私はあたまからノリノリで、ハイスピードでシャッターを切って。
スタッフは全員歓声を上げながら現場は大盛り上がり。
私の調子の良さをみんなも感じていたんだと思う。
間違いなくいいものが撮れていると。
私にもその実感はあった。
楽しくて
嬉しくて
幸せだった。
ところがしばらくして異変に気づいた。
おかしいな。
いつまでもどこまでもシャッターが切れる。
36枚撮りのフィルムを使うなら、
ワンロールまわす中で、カメラマンが与えられるチャンスは36回。
36回だけ、シャッターが切れる。
リズム感覚としてもう身体に刻み込まれているから、
36回を過ぎたあたりから違和感を覚える。
長すぎる、と。
瞬間、一度目の失敗が蘇る。
また同じことやっちゃったんだろうか。
私は、カメラにフィルムを詰め忘れていた。
何も入っていないカメラでずっと空シャッターを切り続けていたのだ。
私の動きが止まる。
スタジオ中に、あれ?という空気が漂い始める。
あの時の苦しさといったら。
痛さといったら。
呼吸ができない。
今すぐ舌を噛み切ってこの世界から消えてしまいたい気分だ。
恥ずかしくて仕方ない。
でも何かを取り繕うにはあまりにも材料が無さすぎた。
言い訳できるものは何もない。
私はものすごい大きな声で謝った。
みなさーん!ごめんなさいっ フィルム、入ってなかったぁ!
ええええええええええええええっ?と驚くスタッフ達。
その後の静けさ。
もったいない…..とつぶやいた人がいた。
(その声は今も耳の奥に残ってる)
がっかり、どんより、盛り下がった雰囲気の中、
だけど私はそこでやめるわけにはいかなかった。
いかないどころか、
短い限られた時間で、ここから先、この失敗を取り消すほどのものを
生み出さなくてはならなくなった。
それが、プロだから。
やるか、死ぬか。そう、選択はこのふたつだけ。いつだって。
「やめる」という選択はない。
やれないなら、死ぬしかない。 終るしかない。
死にたくないなら、やるしかないのだ。
プロならば選択肢はたったひとつしかないのだ。
まず一番初めに私が取った行動は、不二子の側に言って話をすること。
「ごめん、フィルム、入れ忘れちゃったんだ。
 今からまた撮るけど。さっき以上のチカラ出せる?
 私ひとりじゃ無理なんだ。被写体のチカラが必要なの。 できる?」
彼女は、まっすぐ私の目を見て、「できるわ」とだけ答えた。
あそこで「できる」と言い切ったことはすごいことだと思う。
写真家はいつだって被写体に助けられる。
被写体のチカラがなかったら何もできやしない。
私達ふたりがほんの少しでも怯んでしまったら、
もうダメだっただろう。
たしかなる保証も約束もないまま、「できる」とだけ信じて、
再びのシューティング。
36回のうち、真ん中あたりで「!」という感覚。
撮れたっ と思った。
でもすぐに確認することはできない。
おそらく撮れているであろうという、自分を信じるしかない。
撮影が終って、
現像所にフィルムを出して、
ネガを確認して、
暗室に入って、
プリントして、
ようやく会えるのだ、自分があの時信じてシャッターを押した瞬間に。
会えるまでの数日は、不安と恐怖と吐き気と発熱と、闘った。
カメラマンとして楽しいと思えることなどひとつもなかった。
仕上がってきたものを観て。
私はたくさん泣いた。
写真の神様に「ありがとう」を言いながら。
撮れた、と思ったあの一コマには奇跡が写っていた。
そのワンカットは、後に日本広告写真家協会に入選する作品となった。
タイトルは「a muse」(女神)とつけた。
失敗をしたからこそ、
あんなにも素晴らしい作品を撮ることができたのだと私は思っている。
大切なことは、失敗しないようにすることではない。
失敗しないようにするということは、
失敗した時を想定して動くことになってしまう。
基本がそこになってしまう。
失敗はしちゃいけない、絶対に。プロならなおさら。
でも、
失敗はするのだ、どうしても。
私達は皆ただの人間なのだから。
そこを正しく認識していれば、
失敗をした時、必要以上に自分や他人を責めることもなくなるだろう。
一番大切なのは、
失敗をどうするかということだ。
次にどう繋げるか。
このチャンスをどう生かすかということ。
見事にひっくり返せれば、失敗はあっという間に成功へと姿を変える。
そういう意味では、
ありとあらゆる失敗は、宝だ。
神様がくれるギフトだと思う。
心して、受け取るべきなのだ。
失敗は、
しがみつくものではなく、生かすもの。
生かすことができれば、同じ失敗はもう二度と現れない。
力んでなんとかしようとしなくても、
自然と消えてしまうものなのだ。
上手に受け取れない時のみ、
失敗は繰り返される。
それは、
神様からの愛の贈り物。
こんな有り難いことって、ないと思う。
何度もチャンスを与えられているということなのだから。
失敗という道を通ってしか辿り着けない成功があるのだ。
失敗しないように失敗しないようにと言っている人は、
成功しないように成功しないようにと言っているようにも聴こえる。
失敗を恐れている人は、実は、
成功を恐れているのかもしれない。
真の至高体験とは、常に恐怖の裏側にあるものだから。
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