ほんとうのせかい
バスタブに二時間。
珍しく、考えごと。
ちょっと身体が溶けたかも。
昔、片岡礼子という女優を家に呼んで作品撮りをしたことがある。
その時、お風呂場のカットだけ、レトロな昭和な浴槽を使いたかったので、
当時マッチ一本で燃えそうなふる~いオンボロアパートに住んでいる子が
アシスタントだったから、「ちょっとあなたんち貸してよ」とお願いして、
片岡にもそこに来てもらって、撮ったんだ…..
あの時のこと思い出した。今日。突然。
私は片岡の裸を撮りたかったわけじゃなくて、
絵的にバスタブの中にいる女性が撮れればよかった。
だから水着を着ててもタオル巻いても
何してもらっててもよかったんだけど、
片岡は「えっ?でもそれって『ほんとう』じゃなくなるよね?」
と言いながら、さっさと脱いで裸になってくれちゃった。
ギャラも払わない、
私みたいな無名なカメラマンの、
たったひとりの心の中を表現するためだけに、
キネマ旬報主演女優賞をとるような大女優がそこまでしてくれたこと、
思い出したよ。
私は片岡にたくさんのことを教わった。
プロであること。
『ほんとう』ってなにか、ってこと。
自分を徹底的に曲げないということ。
愛するということ。
生きるということ。
喧嘩もいっぱいするけど、
時間がくればやっぱり恋しくなって、
手をのばしちゃう。
まったく。
やんなっちゃうな。
こんなふうにカナワナイ奴にこの世で会っちゃうなんてさ。
ムカつくよ。
『ほんとう』って。何が『ほんとう』って。わかんないよね。
もしその答えを外側に求めるとしたら。
私は世界のほんとうを知らないし、
あなたのほんとうだってわかりゃしない。
でも、
自分の『ほんとう』はわかるよ、いつだって。
瞬時に見つけられる。
その訓練だけは大事に大事に積み重ねてきたからね。
誰だって自分の世界にしか生きられない。
だからこういうことでいいんじゃないかしら。
ただ、
私は思う。
自分のほんとうと世界のほんとうが重なる瞬間があるんだよ。
それは言葉では説明できない。
体験した者にだけわかることなんだよ……
そこが、ほんとうのほんとう ? かな。
夜中に、こーたからメール。
やけに改まった、かしこまった感じの。
ふふふふ(笑)
心をこめて返信。
そんなふうにならないで。
もっともっとへんてこりんを見せて。もっともっと。
自由に。
こーたのような人には広がってほしい、どこまでも。
止まってほしくなんかない、
他人の都合なんかで。
おまえはもっと、とんがってていーんだよ!と思う。
恋をしなさい、と思う。
命がけの恋をしてみなさいって。
苦しくて呼吸もできなくなるほどの、あの世界をゆけと思う。
それはただ好きになっちゃったみたいなこととは違う。
縁を感じるような恋、ってことだよ。
恋をしていない人に誰かをドキドキさせるようなものが作れるはずがない。
絵画でも音楽でも写真でも造形でも物書きでもなんでもいいけれど、
恋をしている人が作ったものと、
してない人が作ったものの違いは、すぐわかる。
全然違うもの。
作品が放つ光りが違う。
作品の持つ温度も。
なぜなら、
身を削るような恋心から生まれる作品には血が通ってるから。
赤い血が。
『ほんとう』が、
宿っているから。
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