写真家 夏野苺のブログエッセイ

天使と魔法と写真の日々

毎日のガイダンスをつぶやいてます☆

「不完全なまま夢をみる」


時々、自分のことを、
「私は優しくないなあ」と強く感じることがあります。

ずっと昔から。


たとえば、
「お腹が痛い」と言ってるクラスメートのところにいち早く駆け寄って、
「だいじょうぶ?」と背中をさすってあげるような子は、
きっと優しいのでしょう。

でも私は、
「もっと早く保健室へ行けば良かったのに。
 なぜあんなにひどくなるまで我慢なんかしたんだろう?」
と不思議に思ってしまい、自分の場所から動けないような子でした。


私は、
もう自分の足で立てなくなってしまった人へは
手を貸すことができません。

それは出来ない。

私にその力は備わっていないから。

優しくないと思われるとしても、
これが私の個性です。

立てなくなってしまった人のことは、
他に任せるしかありません。
(世の中にはそういう役割を任せられた人だっているでしょう?
 昔、駆け寄っていた、あの子のように)

私が助けてあげられるのは、
お腹が痛み始めたらひどくなる前に動くとか、
あるいは、
痛くならないように予防する方法とか、
そういうことを真剣に知りたいと思っている人だけ。

誰かの手を借りなければ動けないような人は、
その手が無くなった時にどうしようもなくなるから。
私はそういう人には最初から手を貸すことができないのです。


私の中には「甘え」があって、
同じものを持っている人はすぐに見分けがつくから、
それで優しくできない、ということもあるかもしれません。

私が人生の課題として一番関心を持っていることは、
自分の「甘え」を徹底的に排除していくこと。
だから、
誰かの手助けをする時にも、その人が、
自分の足で立たなくても良くなってしまうところまで
手を貸すことに、全く興味を持てないのです。

実際に立てるか立てないかということではなく、
「立とうとする」気持ちを持つことが、
とても大切だと思うからです。


いま私が芝居や舞いの稽古をするのも、
自分を律していくためなのかもしれないなあと、
ふと今日、思いました。

自分の都合良いようにはいかないことがたくさんあります。
「続ける」ことが苦しい時もあります。
それでもやっぱり、やりたい!という思いが勝つのは、
自分を成長させたいという気持ちがあるからでしょうか。

これ以上に欲張るとか、
現状に不満があるわけではない。

たとえば、私は優しくないけど、、、、

優しくない人間でもかまわない。


それでも、


より良い人生を望みながら、
チャレンジを繰り返し、
こんな自分でもまだ、
のびしろはあると信じているのです。


夢華座の稽古
今日は、
昼間は夢華座のお稽古。
昨日の初舞台から頭を切り替えて、
次の台本の本読み。

Tokyo演joy倶楽部の稽古
夜はTokyo演Joy倶楽部の、
これまた次の舞台の台本読み。

Tokyo演Joy倶楽部の稽古

不完全なまま、
私は今日も未来の夢をみるのです。