写真家 夏野苺のブログエッセイ

天使と魔法と写真の日々

毎日のガイダンスをつぶやいてます☆

「おしまいの日」

私は、大切な存在を亡くすということに遭遇するたび
「命は有限なんだ」ということを心に刻みつけてきました。

おじいちゃん、おばあちゃんとのお別れも寂しいものでしたが、
15年暮らした猫とのお別れや、
父や妹を病気で亡くした時は、とても苦しかったです。
その時点では、
もう自分の人生も一緒に終わったかのように感じ、
抜け殻のようにもなりましたが、
先に逝く者はいつだって、
残される者に素晴らしいメッセージを残してくれるものなんだと、
今はそういうふうに思っています。

生き続けていると、
乗り越えた悲しみが、いつしかキラキラと輝き出し、
やがて自分の生きる勇気となっていることに気づきます。


私の経験上、死別の苦しみからいつまでも立ち直れないとしたら、
それは、死そのものを嘆いているというよりは、
生きている間の関係性に問題があるからだと感じます。


もっとああすればよかったなど、
生前の関わりに関する後悔の思いが自分を苦しめるのだと思います。


思い残すことなく良い関係を築けた人とは、
別れる時の苦しみはたいそうなものとなりますが、
そのことが、
いつまでも残された者に痛みを与え続けることはないと思うのです。


嘆きの時間を通り過ぎると、良い思い出だけが浮かび上がってきます。
あれも楽しかった、あれも素晴らしかった、と。
その思い出たちは、
勇気とチカラをくれるものです。


私は、
生きていることが当たり前とは思わないし、
この時間がいつまでも続かないことも「本当に知っている」し、
だからこそ、
大切な人に対しては、いつも感謝の気持ちと、
別れる覚悟を持ちながら接するようにしています。
いつ突然のお別れがやってくるかわからないから、
最後は笑顔で、をいつも心がけながら生きるようにしています。
こういうことを常に意識することで、今を大切にできるようになります。


こういう考えになってからは、どんな悩みも小さなことに感じます。
人と喧嘩したり、誰かに腹が立ったりということが、あまりなくなりました。
もしものことがあった時、苦しみ続けたくはないからです。
また、
誰かにとって私の死が、苦しみの種として残ってしまうのも嫌だからです。


お別れの時にたくさん泣いたとしても、
時間が経って、笑って思い出したい、思い出されたい、そう思うからです。


だから、
先日発売になったジョン・キムさんの本は、
「生きているうちに」というタイトルを見ただけで
こみ上げるものがあったのです。

それがすべてなんです。私たちは。

生きているうちに、なんですよ、なにもかも。


絶望的観測からではなく、希望的観測から死をみつめる時、
いつかは消えてしまうという一筋の明かりが見えてきます。

おしまいの日は必ずやってくるのだということを忘れなければ、
良いことには感謝が増し、辛いことに耐える力を持てるはず。


怒りや悲しみは、永遠に続くと思う時だけ力を持つもので、
どんなものでもいつか必ず終わるんだということを本当に理解するなら、
無駄な苦しみを感じ続けることもありません。


問題の中にユーモアを探し、
笑い飛ばすパワーを使えば、人生は楽しいことばかりです。

命は有限であると本当に知ること。
感謝の源はここにあると思います。



★ただいま東北ちゅう。ちょっと寒いです★