写真家 夏野苺のブログエッセイ

天使と魔法と写真の日々

毎日のガイダンスをつぶやいてます☆
夏野苺のツイッターはこちら
夏野苺のフェイスブックページはこちら

「写真と魔法修行」

2006年に、俳優の小栗旬くんの写真集の撮影でイギリスへ行った時のこと。
仕事が終わった後、担当編集者と一緒にイタリアへ寄りました。
初イタリアです! 初ローマです!
一番の目的は、バチカン市国のサン・ピエトロ大聖堂へ行くこと。
広告業界の巨匠、鈴木一朗さんに、
「サン・ピエトロ大聖堂の中に、小さなsouvenir shopがあるから。
そこに世界一小さな金貨が売ってるから。それを買ってくるといい」
と言われたことが強く残っていたことと、
サン・ピエトロ大聖堂の主祭壇には、
写真の神様ヴェロニカ像が飾ってあると知っていたからです。
イタリア行きが決まってから、
もう一度鈴木さんにお話を伺おうと思ってたら、
亡くなったと聞いてびっくり。金貨の話は遺言になってしまいました。

★2006年7月のエッセイに鈴木さんの言葉が書いてあります★
「では、必ず売店に寄りなさい。螺旋階段を上っていくと、
小さな売店があるから。ほとんどの人は気づかないで、皆降りてしまうけれど
あなたなら大丈夫。すぐわかるはず。そこへ行ったら、世界一小さい金貨があるから。
それを買って身につけなさい。あなたはそれを買わなければならない」
今思えば、それはちょっと変わった日本語だったと思う。 啓示か、何か、みたいな。

私は大天使ガブリエルの金貨を買って帰国しました。
この時、最後の一個を手に入れたのです。
(また今は新しく作られてると思います)

聖女ヴェロニカが「写真の神様」と言われるようになったのは、
キリスト教の話からきているみたいなのですが、
私はクリスチャンではないので詳しくはありません。
それでも、
プロのフォトグラファーとしてスタートしていた私の人生に、
「写真の神様」の話が飛び込んできたことは、とても不思議です。

私はよくわからないまま、
大きな流れに押し出されるようにしていきなりプロになってしまったので、
いつもどこか腰が引けていました。
たくさん仕事をこなしていても、
堂々と「私はフォトグラファーです」と言うことができずに、
自己紹介をする時は、
「写真を撮ってご飯を食べています」と、
回りくどい言い方をするのが癖になっていました。

そんな私でも、
一生写真を撮り続けていこうと覚悟を決めたのは、
ヴェロニカ像の前に立った時。
思わずただそう誓った、そんな感じでしたが。

世界中の写真家たちの中で、ヴェロニカ像の前に立って、
自分の仕事に誓いを立てる人って、どのくらいいるんだろう?

どれほどの写真家たちが、
「写真の神様」を信じて仕事してるんだろう?

自分が撮り続けてきた写真はみんな神様からの贈り物だと、
そんなふうに感じる写真家はいるのだろうか?

ある女優さんから「映画の神様がね、、、」という言葉を聴いた時、
ああ、どの分野にも神様はいるんだなあと思ったものだけど、
どのくらい多くの人が、
自分の仕事の中に神様を感じながら働いているのかなあと、時々考えます。

私はヴァチカン以降、見えない世界への関心が更に高まり、
ますます畏敬の念を感じるようになりました。
そして、撮影するために重要なのは、見えるものより見えないもの、
自分の日々の暮らしのすべては、
みんなシャッターを切る一瞬に向かっているんだと思うようになりました。

撮影の前には、まずお祈りからスタートします。
祈りは、大いなるもの(私の場合は写真の神様)に話しかける言葉だから、
初めに感謝の祈りを捧げることで、
私が受け取るべき写真をうまく受け取れるようになります。
(私の中では、撮る=受け取る、
あるいは、つかまえに行くという表現がピッタリきます)
このように自分の型(祈りから始まる撮影)を作って臨むことで、
常に安定して仕事ができるようになりました。


私の中では、写真撮影と魔法修行は切り離せないものです。
瞑想したり、
精神世界に関心を寄せたり、
古いグリモアを読んだり、
天使の声を聴き取る訓練をしたりすることはみんな、
撮影現場で魔法が使えるようになるためのことです。

でも、
私が日々心がけている魔法修行とは特別な世界の特別なことではなく、
自分の日常を生きていく時に役に立つ、
どんな仕事のどんな人にでも必要だろうと感じるものです。

私はたまたま写真を撮ることが仕事になったけど、
会社員でも、農家さんでも、漁師さんでも、
専業主婦の人でも、旅人でも、
誰だって魔法を使いながら生きていくことができるだろうと思っています。




★どんなに邪魔されても怒らず広い心で受け止める、、、
これまた修行なり。(≧∇≦)