写真家 夏野苺のブログエッセイ

天使と魔法と写真の日々

毎日のガイダンスをつぶやいてます☆

「天使はどこにいる?」

天使はどこにいるのでしょう?

どこにもでもいるような気がします。

たとえ見えなくても。

むか〜しむかしの記憶をたどってみると、
その時にはそうと気づかなかったけれど、
今となっては、
あれもか?たぶんそれもだ!ひょっとしてこれも!?
と、どんどん思い当たることがたくさん。
ずっと天使は私と一緒にいてくれたとわかります。

こうしてある日わかることになるのか、
または一生わからずに終わるのか、
それだけの差だと思います。
ようするに、どんな人とも一緒に歩いているんです、天使は。
だから、
逆にいえば、わからなくても全然だいじょうぶ、ということ。
わかってもわからなくても同じなら。

ただ、
今このエッセイを読んでいる人や、普段から天使が気になる人は、
天使と深い縁で結ばれている可能性があります。
自分で天使の声を聴きながら、
それを周りの人にも伝えるお役目があるのかもしれません。

私は、ドリーン博士の本を読みながら、
気になる箇所はひたすら実践のみという形でこれまで天使とお付き合いしてきました。
3年ほど前に、オンラインで日本語講座が開設されたのをきっかけに、
ドリーン博士主催のエンジェルカードリーダーの初心者クラスから受講し、
エンジェルタロットコースに進み、最終的にアドバンス資格まで取得しました。
そこではっきりと、
天使たちは、カードやいろいろな道具に宿りながらメッセージを伝えるという方法で、
私たちにガイダンスを与えてくることがあるのだということを、今一度自覚しました。
このことから、
天使と対話するための道具を持つことは、
(オラクルカード、ペンジュラム、アミュレットなど)
日々、自分を守ってくれる天使に聖なる住処を提供しているのだという考えが生まれました。
道具を使いながら、常に「尋ねる」という姿勢を習慣づけることで、
日常の中にある「答え」をみつけやすくなります。(天使のガイダンスを受け取るということ)

どんな分野でもまずはじめに独学。実際にあれこれ動いてみて、
問題点や疑問点がはっきり認識できた時点で、しかるべき人について勉強する。
これが私の学びのスタイルです。
新しいことを学ぶなら、まっさらな状態で、
スタートからしっかり教わる方がいいという人が一般的には多いかもしれないけれど、
それだと基礎は学べるけど、その中には、結局使わないもの、いらないものもあって、
それを聞いてるのが苦痛なんだと思います、私は。
一旦すべてを入れて後からいらないものを捨てるという作業より、
最初から欲しいものだけ取っていく方法が一番ピタッとくるし、吸収も速い。
学びたい焦点がはっきりしているので、楽しく勉強できるのです。

皆さんも何かを勉強する時は、
自分のスタイルをしっかり持った方がいいと思います。
人と同じじゃなくていいから。
一番やり易い方法で、一番学びたいことを勉強してください。


さて、このエッセイに、
「天使はどこにいる?」というタイトルをつけたのですが、、、、

天使はどこにいるのでしょう?

あれ?今日の一行目に戻ったzo☆ (≧∇≦)
疑問が同じなら答えも同じ。

「どこにもでもいるような気がします。 たとえ見えなくても」が私の答え。

どこにでもいるなら、
この世で天使と巡り会う人と会えない人がいるのはどうして?
という疑問もわいてくると思いますが、
私の周りを見渡すと、自分を大切にしていない人は、あまり幸せそうではなくて、
そういう人には天使の声は聴こえないようです。
聴こえないから幸せへの道を見つけられないということもあるのかもしれません。
(天使かどうかの問題は置いといたとしても)
内なる声に従う人は、その人にとって正しい道を進んでいるように見えます。
内なる声とは、直感とか第六感とか言われるようなもの。
なんとなく気になることとか、なんとなく感じることを無視しない、
自分の感覚にきちんと注意を向ける、
それが自分を信じる、自分を大切にするということです。

たとえば、
今日は会社に行きたくない。具合が悪い。→じゃあ休むか! って簡単にすぐできますか?
たぶんできないですよね?
会社に迷惑がかかる、こんなことくらいで休んで、と周りに言われるのが困る、etc...
その結果、無理してでも行く。。。。こんな経験ありませんか?
これは、自分の内側と外側の世界を天秤にかけた結果、外側を優先している考え方です。
おそらくこういう人に天使の声は届きません。
大人になって働くようになったら、社会的責任があるということは、私にも理解できます。
ただ、その責任をあなたが果たすべき場所は、その会社の中だけにしかないのでしょうか?
自分の魂が活躍できる場所がその会社だとしたら、
はたして「行きたくない」なんていう感情は生まれるでしょうか?
会社へ行きたくないという思いは、
そこじゃないよ、と教えてくれている天使からのサインだとは考えられないでしょうか?
忙しすぎる毎日、雑音でいっぱいの心では、天使の声は聴こえません。
「休みたい」という思いの源はどこなのか? じっくり向き合う時間を取ってください。
会社へ行きたくないという苦痛の感情は「移動せよ」という聖なる合図かもしれません。

天使は、
私たちの感情を通して現れることがあるのです。


天使はどこにいる?



そこにいます、いつでも。

ここにいます、どんなときでも。



これは一般社会人という立場からすれば隠すべき恥ずかしいエピソードですが、
私は平気でズル休みをするOLでした。
土曜、日曜は思い切り遊んでしまうので、月曜はだいたい休みました。
たまに行くと「あれっ?今日は月曜だけど?」と上司に驚かれるほど。
また、雨の日もだいたい休みました。
傘をさして歩くのが面倒臭かったのと、濡れるのが嫌だったからです。
こんなことが会社を休む理由になるでしょうか?なりませんね!それでも、
1年分の有給は、GWの頃には全部使ってしまうので、あとは本物のズル休み。
私は何の躊躇もなくそうしてきました。
当然こんなバカ人間は、会社生活を長く続けることはできません。
そのおかげで私は今こうして、
クリエィテブな世界でフォトグラファーとして仕事できているのだと思います。
私は自分の「好き」をとことん大切にしてきたけれど、それと同じくらい、
自分の中に生まれる「嫌い」という感覚も尊重してきました。
嫌だと感じているのに、周りの目を気にしながら無理に真面目に続けていたら、
私は今でもOLとして楽しくない人生を続けていたかもしれません。
自分が生きる世界をシフトすることに成功した鍵は、
自分軸で動くか、他人軸で動くか、もうその一点だけだと思います。
宇宙の法則を使って生きる時、人間界の道徳が全く機能しないということは、
よくあることです。(ここまで生きてきて、なんとなくわかってきました)


(我が家のチャミュエルくん。眠る時、眩しいのは嫌です。自由に気ままに生きるお手本)