写真家

夏野 苺

世界中の魔法使いや天使とともに作品を創る“魔法使いの弟子”
Photographer Ichigo Natsuno's Official Website

毎日のガイダンスをつぶやいています☆
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「LOVEパワー」


自分の与えてもらっている力をうまく使いこなす訓練...
何を意識して、
どうコントロールすればいいんでしょ?
何かヒントあれば教えてください。
ーーーーー

昨夜ある人からこんなメッセージが届きました。
とてもいい質問です!
個人的にお返事しようかとも思いましたが、
これまで自分が実践してきたことを振り返りつつ、
このエッセイで読者の皆さんとシェアしますne☆

自分が持ってる力を使いこなす訓練をするために、
「何を意識して?」とありますが、
自分の考え、行動、すべてにおいて徹底的に、
その判断基準を「愛」に置いたらいかがでしょうか?
愛は、
そこに在るか、無いか。どちらかです。中間はありません。
「ちょっとだけ在る」とか、
「だんだん無くなってきた」とか、
そういうことはないはずです。
いつでもそこに「在るか、無いか」だけです。
では、どうしたらそれを見極められるかというと、
自分の抱えている問題が複雑だと感じている時は、
愛が欠乏していると考えていいと思います。
愛の在る場所はシンプルです。
複雑ではありません。
物事が複雑になってゆくのは愛が消えているサインです。
また、
自分がただ「嫌な感じ」だけを受けている時も、
そこには愛が無いという証拠です。
具体的な例え話をするなら、、、

AさんがBさんに対して約束を破ったとします。
Bさんはカンカンに怒って、もうAさんとは絶交だと言います。
AさんはCさんとの約束も破ってしまい、
Cさんもまたカンカンに怒っています。
けれどCさんはそこでもうひとつ思いを巡らせます。

約束を破ったAさんは反省するべきだ
でもおそらく
この私が魅力的ではなかったことも原因のひとつだろう
誰かから簡単に
約束を破られるような魅力しか持っていない自分も
また反省するべきだ

さて、
BさんとCさんのその後は、
それぞれどのように変化していくと思いますか?
おそらくAさんとBさんはもう会うことはないでしょう。
AさんはBさんを心狭い人だと思い込み、
BさんはAさんを嘘つきの悪者だと一生思い込み、
また他の人とも同じようなトラブルが起きるかもしれません。
(いつも人のせいにしてばかりの生き方だから)
一方、Cさんはどんどん魅力アップして、
Cさんが交わした約束は、
誰からも大切に扱ってもらえるようになるかもしれません。

そんなCさんを見て、
Aさんもいつしか素敵に変わっていくかもしれません。
「あの時は約束を破ってごめんなさい」と謝ってくるかもしれません。
(相手は自分を映す鏡と思い、感謝しながら進む生き方だから)

これは、
そこに愛が在る生き方を選ぶとどうなるか?
無い生き方を選ぶとどうなるか?という、ひとつの例です。

愛のなかで生きてゆくということは、
恐れずに自分の個性を発揮しながら生きてゆくことです。
怒ってもいいんです。
泣いてもいいんです。
わめいても取り乱しても、
人と喧嘩したってかまわないんです。
そこに愛が在るなら。

そういうなかで、
心のコントロールは自然に成されてゆくでしょう。
種から双葉が出て、
やがて大きな樹木になるように、
私たちの心もゆっくりと成長してゆくはずです。

いつでも愛があれば。



お料理も愛を込めて作ると、
不思議と断然!美味しくなりますよね〜☆
昨夜からコトコト煮込んだラタトゥイユ。
喜びで手が震えるほど美味しく出来ました!

Wed 10th, Aug 2016

「清らかなエール」


苺さんが今日アップされたエッセイ全部読みました。

自分自身を大切にする人を宇宙は大切にする、
と改めて思いました。
それから、
苺さんの自分自身対する敬意、
絶対に自分に対して正直でいる、
という強い決意に涙がこぼれそうになりました。
小さな妥協と嘘が積み重なり、
それが泥みたいに身体にまとわりつき、
自分自身が埋もれてしまいそうに時々感じます。
苺さんのエッセイを全部読んで、自分に正直でいるというのは、
時として自分も他人も傷つけてしまうかもしれない、
でも自分の心を大切にする以上に大切にすべきことなんて何もないんだ、
と感じました。
苺さんが書く文章は、嘘も誇張もなく真実が書かれていて、
その分私の心にとても響きます。
それから、
苺さんの撮る写真がなぜこれほどまでに美しいのかがわかりました。
心の純度の高さが写真に反映されているから
苺さんの写真は多くの人を引き付ける、と感じました。
ーーーーー


なんとまあ素晴らしく、、、
私を幸せの国へと運んでくれる言葉たちよ!
もうこのメールは私のお守りにしようと決めました。
これから何かが起こって心がくじけそうになった時は、
いつもこのメールを眺めよう!

そして繰り返し思い出そうと思います。

勇気と、希望と、愛を。

この人生で、
誰かにこんなふうに言ってもらえるような場所まで
なんとか辿り着くことができた奇跡を。



ありがとうございます。

感謝して、この先もどんどん進んで参ります☆

Tue 9th, Aug 2016

「新しい扉を開ける時」

エッセイ読者の皆さん!おはようございます☆
このエッセイは、
自分のホームページで書き続けて13年ほど経ちますが、
多い時は、1日に7回アップしたことがあります。
(それはとても怒っている時だった。。。
 昨日は別に怒ってないけど、5つアップ!)

たま〜に、
2003年の一番初めから全部読んだ!
というお便りをいただき驚くことがあります。
数でいうとどれくらいアップしているのでしょう?
途中までは数えていたんですが(2007年頃まで?)
今はもう数えていなくて、、、
たぶん5000回近いテキストをアップしていると思いますけど。
それを全部読むって、すごい!大変!

これまで全くの独断と偏見で好きなように自由に書き続けてきましたが、
ひとりの人間がリアルに書き続けてきたものって、
10年を超えると面白いことになってきますね。。。。
やっぱりリアルがいちばん面白い。
このエッセイがスタートした2003年から比べると、
もう今の私の人生は全く違ったものになってしまった。
こんなことなら、OLの頃から書いておけばよかったなー
と思ったら、ちょっと残ってました。絵日記が。(笑)
毎日ではないけれど、断続的に絵日記をつける習慣があったようです。
恋人と別れそうで悲しい日々を送っている模様をコミカルに描いている日記があって、
無意識にでも、
悲しい物語としてこの記憶を残しておくのは嫌だったんだなあというのがわかります。
ちなみに、その元カレとは数年前にフェイスブックを通じて再会しました。
(20年ぶり!)
ある日、検索してくれたようで、友達申請が来てびっくりしました〜。
何度か一緒にご飯を食べましたが、お互い大人になっていて、
人生の様々な荒波を乗り越えてきたから、いろいろ話せてとっても面白かったです。
失恋とか離婚って、
もうこの人生で二度と会えないような別れ方になってしまうこともあるけれど、
それは、本当は、残念ですよね。。。。
縁あってこの世で一度は信頼し合った仲なんだから、
関係性が変化してもこの世で巡り会えた仲間として付き合い続けていけたら、
とっても素敵なのに。
でも、
大嫌いになったり憎み合ったりしなければ別れられない、ということもあるでしょうから、
全ては天の計らいですね☆
(嫌うとか憎むって、なんか運気を変化させるために、無意識につける弾みって感じがする)
私は、これまで別れちゃった人で気持ち良く再会できたという人は、そのFB彼だけなので、
これからも良き友達としてご縁が続いていったらいいなあと思っています。
(失恋した時のことを恨み節ではなくコミカルな形で日記に残しておいてよかったな〜。
いつか本人に見せよう。きっと笑うだろう!)

と、こんなふうに今日もつらつらと好きなことを書きましたが、
私にとって書くことは、撮ることと同じです。
同じというのは使う力が一緒ということです。
人から見たらあっちもこっちもやってるというふうに見えるかもしれないけれど、
自分にとっては、ただひとつの力を使ってやっているという感覚しかありません。

私は、パソコンを使って文章を書きますが、
紙とペンを使って書くよりもピタッときます。
どうしてかなあ?と思ったけど、たぶんスピードの問題が大きいかな?
思考が表出する速度とパソコンのキーボードを打つ速度は、
ほぼ同じなのでストレスがありません。
紙とペンだと、文字を書く速度が、思考の速度に追いつかないので、
ものすごーい擲り書きになってしまい、後から読めないこともあるし、
何よりも書いてる途中でストレスを感じることも多いです。
手紙を書いたりすることはまた別ですが、
作品として文章を書いたり、仕事のメールをする時は、断然パソコン!
デジタル派です。

一方、写真撮影に関してはアナログ派です。
なぜなら、あの曖昧さがいいのです。
ピントも色調もファジーな、あの甘さが。
デジタル表現は、私にはシャープすぎてしまい、あまり好きではありません。
仕事ではいつもデジタルカメラを使っていますが、
少しピントを甘くしたり、シャッタースピードを遅くして、
フィルム撮影の仕上がりに近づけていく手法をとることが多いです。
まあ、技法どうのこうのより、
なんといっても一番大切なことは、シャッターチャンスですけれど。

今のアトリエには暗室がありませんが、
将来的にはスタジオや暗室も完備されているアトリエが欲しいなあと思っています。
自分の写真集を出版するなら、全作品フィルム撮影した写真だけで創りたいので、
何日も暗室にこもってプリントして、、、、
そして、
それにつける文章を書いたりして、、、

はー!

想像するだけでワクワクしてきます☆☆☆

皆さんは、考えるだけで心がときめいてしまうことって、ありますか?
人生でそれを見つけることができたならとっても素晴らしいですよね?
もうそれだけでいいんじゃないかしら?
今まだ探してる最中とか、全然みつからないという人もいるかもしれないけれど、
そういう人はどんどんいろいろ実際にやってみるといいかな?と思います。
どうせならこれまでやったことないことや行ったことない場所へ行くこと、
嫌いだったものをちょっとだけ無理して食べるとか、
この人生で「それないわ〜」と思い続け避けてきたものにあえてトライしてみるとか。
結局ね、同じことやり続けていても、同じ結果しか生まれないと思うのです。
人生に変化を起こすって、つまり道を変えるってことだから。
同じ道を歩き続けても同じ景色しか見えないでしょ。
ぜひ思い切って、違う道を選んでみてください。
それはね、実際に、違う道を歩くということからスタートできますよ。
例えば毎日会社へ行く時に使っている道を変えるとか。そういうこと。
物理的にそれが簡単でしょ?
それからだんだん、食べるものを変えていくとか着る服を変えるとか。
これは単に新しく買い替えるというだけではなく、好みも変えちゃう。
ぜひ「それないわ〜」にチャレンジしてみてください☆

さて、あなたの人生、どうなるでしょう?

(きっと新しい扉が開くと思います!^^)

Mon 8th, Aug 2016

「コントラスト」

私が昔OLをしていた時のこと。
あの恐ろしい地下鉄の事件がありました。
その日私は、
いつものように怠け心の表れで寝坊していました。
なんとか頑張れば会社に間に合うような時間でしたが、
全く急ぐ気なし。休む気満々。
テレビをつけて(OL時代はミーハーなテレビっ子だった)、
朝ごはんを食べながら見ていたら、
そのうち事件の模様が映し出され、
あれれ?世間は大変なことになってるな、、、と。
じーっと見ていたら、すっかり会社が始まってる時間。
「すみませーん、事件で電車が止まってるので」と休む電話をしたら、
「時間、おかしいだろ、事件前に会社着いててもいいだろ?」
と課長に笑われたのですが、
もう今日は来なくていいよと言われたので、
その日は一日中、家でテレビを見てました。

もし、私が真面目なOLだとしたら、
もう今頃この世にはいなかったと思います。
なぜなら、
被害が一番ひどかった路線の、あの時刻のあの車両は、
私がいつも通勤で乗っている電車だったからです。
「いけない!寝坊した!」と飛び起きて、
慌てて支度していつもの電車に飛び乗ったら、
それは、死への旅の始まりとなったでしょう。

だからといって、私は皆さんに、
「怠けなさい、サボりなさい」と薦めているわけではなく、
人生、時には、
真面目に不真面目な道を歩いてみることもあっていいんじゃないかしら?
ということを伝えたいだけなのです。
きちんとしているだけでは見えない世界がある。
きちんとしているのが好きな人はいいんです、もちろん!そのままで。
でもあの時の私のように、
(どうにも真面目になれない)自分のほんとうに従って生きる時、
それが世間的に見て感心できないようなことだとしても、
その態度が、
我が身を助けることに繋がるということもあるから。
人間界の道徳だけで、すべてを決めつけなくていい。
無理に他の人の考えに合わせなくてもいい。

私は、
怠けた根性のままOLを10年やったけれど、
あの世界は保証もあって、
(よほどのことがない限り毎月お給料もらってボーナスも出る)
会社に守られていて、ある意味、楽な世界だったなあと思います。
写真家になって20年経つけれど、ここは保証の全くない世界。
おまけに、ちょっとの失敗が、すぐ致命的なことになる。
守ってくれる人はいないから、
すべて自分一人で責任を負わなければならない。

それでも、
私はここに辿り着けて良かったなあと、心から思います。
毎日大変でも、とっても楽しい。
自分には合ってる世界だと感じます。
OLと写真家。
両方を見ることで「選ぶ」という生き方もできたしね。
現在こうしていられるのも、
あの頃の私がダメ人間だったおかげ。
ダメな私が、ここまで運んでくれた。
過去のダメな自分に感謝しています!


今はね、
寝坊はしないし、ずる休みもしない。
ここまで来てようやく「あれはダメでしょー」と気づけたから。
現在の苦しくも楽しい世界が教えてくれたから。

でも、
シャッターを切る、その一瞬のためにいつでも力を溜めておきたいので、
だいたいのことは今でも怠けています。
だってねー、無理でしょう!
すべてを完璧にやろうとするなんて。
(そんなの人間じゃないよ)
私の場合は極端だと思うけど、
10個あるうち9個怠ける人は残り1個で10個分輝く!と思っています。
精神力も体力も、いざという時のために、
パワーコントロールしていくことが大切。
ここでエネルギーの全てを消費していいものかどうか。
あとどのくらいでチャージするべきかを見極めるなど。

私にとって一番大切なことはシャッターチャンスだから。
1個を10個分輝かせるために、たくさん怠けながら生きています。^^

私のまわりを見ていても、頑張る人ほど、お休み上手。

この世界の法則は、隠&陽。
コントラストが高いほど、きっと美しい。

おもしろいはずだから。

Sun 7th, Aug 2016

「冷たい人」

ある物事を眺めた時、
善いとかとか悪いとかですべてを決めてしまうことは難しい。
なぜなら、どんなことの中にも、
善いことと悪いことの両方が内在しているから。
ある角度からは善い側面が見えても、
また別の角度からは悪い側面が見えてしまったり。
つまり、出来事そのものには、善いも悪いもないということ。
自分のいる位置からどっちを見たいかということだけ。
見えている世界を変えるには、まず自分の内側を変えること。
自分の心を動かしていくことでしか、
世界を変えてゆく方法はないだろう。

先日の個展で、
初日の前日、搬入時に来てしまった人がいました。
正直、私はとても困ってしまったのですが。。。
というのも、
私にとって個展の搬入は、
単なる会場への荷物の運び込み作業ではないからです。
あの小屋は、
大人が三人も入ったら満員になってしまうようなとても小さな場所だけれど、
私にとっては聖なる領域。
天使との共同作業でひとつの世界を作り上げてゆく、
とても大切な場所なのです。

小屋へ到着すると、毎回、
深呼吸して、短い瞑想とお祈りをします。
それから、先に送った荷物(作品や展示小物)たちが、
壊れていないか点検し、無事に到着したことに感謝します。
その後、
どこに誰が座りたいか、作品たちにひとつずつ尋ねる作業に入ります。
この時、私は一種のトランス状態になっていると思います。
どんどん勝手に手が作品を持って棚の方へ動いて行きます。

そんな時、、、、

ふと、ドアの向こうに手を振る無邪気な笑顔を発見。
びっくりしすぎて、心臓が止まりそうになりました!
作業の手を止めて、なんとか心を落ち着かせ、ドアを開け、
「まだ終わってないし、個展は明日からです、、、」
と伝えてはみたものの、
「はい、何か食べてからまた戻ってきます」
という返答に、ため息が出ました。

戻ってくる。。。。

その時、私はどうしたらいいだろう?

考えると苦しくなるので、
私はまた作業に戻り、
とにかく作品の展示位置を決めることに集中しました。

ようやく終わった後は、
プライス表の作成や小物類の飾り付けです。

ふと目の端に、人が動く影。。。

ああ、戻ってきたんだ。

私の心はまた落ち着かなくなってしまいました。
なんとか手元に集中しようとするのですが、
最初はうまくいきませんでした。
なんといっても、小屋の中と外。距離はすぐ近く。
でも、
これもまた魔法修行と思って、
ぐっと自分の内側に入り込むと、うまくいきました。
どんどん作業が捗って、後少しで終わりそう、
という時に、ドアをノックする音が。。。。

ああ、ついに来た、この時が。。。。

「この時」とは、
私のハートが氷のように冷たくなる瞬間のこと。

まだでしょうか、、、と言われたので、
まだも何も、今日あなたがこの小屋に入れる時間は、
1秒もないですよ、とお伝えしました。
まさかこんな言葉そのままでは言いませんでしたが、
言ってる内容はこういうことでした。
そして、発する言葉と同時に、
私の瞳の色もそういうことを伝えていたと思います。
相手のハッとする表情を見て、それがわかりました。

「すみません」

と言い残し、その人は帰って行き、、、

そのあと、私はしばらく小屋の中で泣きました。
わざわざ遠くから新幹線に乗って来てくれたのです。
長く、私の活動を応援してくれている人です。
「ありがとう!特別にどうぞ!」と、
笑顔で招き入れるべきだったのではないかしら?
私は間違っていたかしら?
私は自己中心的でわがままなのかしら?
いろんな思いが心の中に浮かんでは消えて行きました。

それでも、

最後に残ったのは、
「これでいいんだ」という気持ちでした。

私はこれでいい。 これでいこう。
もし嫌われることがあっても。
応援してくれる人がここでひとり消えてしまうとしても。
私は私だ。

初日に、一番乗りを楽しみにしている人もいる。
結界を張って展示作業をしている場所に他者を入れてしまうのは、
私の譲れない世界に異質なものを入れてしまうことになる。
境界線が脅かされてしまうと、
もうそれは純粋な私の世界ではなくなってしまう。
そのことを、もし、
理解できない、大袈裟だという人がいるとしたら、
その人とはもう合わないだろう。
我慢して付き合い続けることもない。

この先には、ますますの孤独が待っているかもしれないけれど、
やっぱりこのまま行こう。
こうして私はOLの頃からやってきたんだもの、
なんとかここまで。

私は、私を守る。自分の世界を守り続ける。
だからあの写真が撮れるんだもの。
だからあの人形たちが生まれるんだもの。
だから天使の声が聴こえるんだもの。。。

ここまで自分の思いがたどり着いた時、
私の涙はもう乾いていました。
そして、くるりと見渡せば、
小屋の中に誕生しているワンダーランド!
翌日からの個展がとても楽しみになってきました。^^

さて、この個展フライングちゃん。(←あの人にこんなあだ名をつけてみた!)
その後どうなったかというと、
あれからすぐに「お詫びのメール」なるものが届きました。
そして、
先日のまほうshopで、見事、
ひとつだけ残っていたアンクレットを手に入れたのです。

私は胸が熱くなり、また泣いてしまいました。
今度の涙は、苦悩の涙ではなく、喜びと感激の涙です。

天使は、見放さなかったのです、私たちを。

私の冷たい決意も。

あの人の無垢な間違いも。

すべて大きく包み込んでくれたのでした。

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Sun 7th, Aug 2016