写真家

夏野 苺

世界中の魔法使いや天使とともに作品を創る“魔法使いの弟子”
Photographer Ichigo Natsuno's Official Website

毎日のガイダンスをつぶやいています☆
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「新しい扉を開ける時」

エッセイ読者の皆さん!おはようございます☆
このエッセイは、
自分のホームページで書き続けて13年ほど経ちますが、
多い時は、1日に7回アップしたことがあります。
(それはとても怒っている時だった。。。
 昨日は別に怒ってないけど、5つアップ!)

たま〜に、
2003年の一番初めから全部読んだ!
というお便りをいただき驚くことがあります。
数でいうとどれくらいアップしているのでしょう?
途中までは数えていたんですが(2007年頃まで?)
今はもう数えていなくて、、、
たぶん5000回近いテキストをアップしていると思いますけど。
それを全部読むって、すごい!大変!

これまで全くの独断と偏見で好きなように自由に書き続けてきましたが、
ひとりの人間がリアルに書き続けてきたものって、
10年を超えると面白いことになってきますね。。。。
やっぱりリアルがいちばん面白い。
このエッセイがスタートした2003年から比べると、
もう今の私の人生は全く違ったものになってしまった。
こんなことなら、OLの頃から書いておけばよかったなー
と思ったら、ちょっと残ってました。絵日記が。(笑)
毎日ではないけれど、断続的に絵日記をつける習慣があったようです。
恋人と別れそうで悲しい日々を送っている模様をコミカルに描いている日記があって、
無意識にでも、
悲しい物語としてこの記憶を残しておくのは嫌だったんだなあというのがわかります。
ちなみに、その元カレとは数年前にフェイスブックを通じて再会しました。
(20年ぶり!)
ある日、検索してくれたようで、友達申請が来てびっくりしました〜。
何度か一緒にご飯を食べましたが、お互い大人になっていて、
人生の様々な荒波を乗り越えてきたから、いろいろ話せてとっても面白かったです。
失恋とか離婚って、
もうこの人生で二度と会えないような別れ方になってしまうこともあるけれど、
それは、本当は、残念ですよね。。。。
縁あってこの世で一度は信頼し合った仲なんだから、
関係性が変化してもこの世で巡り会えた仲間として付き合い続けていけたら、
とっても素敵なのに。
でも、
大嫌いになったり憎み合ったりしなければ別れられない、ということもあるでしょうから、
全ては天の計らいですね☆
(嫌うとか憎むって、なんか運気を変化させるために、無意識につける弾みって感じがする)
私は、これまで別れちゃった人で気持ち良く再会できたという人は、そのFB彼だけなので、
これからも良き友達としてご縁が続いていったらいいなあと思っています。
(失恋した時のことを恨み節ではなくコミカルな形で日記に残しておいてよかったな〜。
いつか本人に見せよう。きっと笑うだろう!)

と、こんなふうに今日もつらつらと好きなことを書きましたが、
私にとって書くことは、撮ることと同じです。
同じというのは使う力が一緒ということです。
人から見たらあっちもこっちもやってるというふうに見えるかもしれないけれど、
自分にとっては、ただひとつの力を使ってやっているという感覚しかありません。

私は、パソコンを使って文章を書きますが、
紙とペンを使って書くよりもピタッときます。
どうしてかなあ?と思ったけど、たぶんスピードの問題が大きいかな?
思考が表出する速度とパソコンのキーボードを打つ速度は、
ほぼ同じなのでストレスがありません。
紙とペンだと、文字を書く速度が、思考の速度に追いつかないので、
ものすごーい擲り書きになってしまい、後から読めないこともあるし、
何よりも書いてる途中でストレスを感じることも多いです。
手紙を書いたりすることはまた別ですが、
作品として文章を書いたり、仕事のメールをする時は、断然パソコン!
デジタル派です。

一方、写真撮影に関してはアナログ派です。
なぜなら、あの曖昧さがいいのです。
ピントも色調もファジーな、あの甘さが。
デジタル表現は、私にはシャープすぎてしまい、あまり好きではありません。
仕事ではいつもデジタルカメラを使っていますが、
少しピントを甘くしたり、シャッタースピードを遅くして、
フィルム撮影の仕上がりに近づけていく手法をとることが多いです。
まあ、技法どうのこうのより、
なんといっても一番大切なことは、シャッターチャンスですけれど。

今のアトリエには暗室がありませんが、
将来的にはスタジオや暗室も完備されているアトリエが欲しいなあと思っています。
自分の写真集を出版するなら、全作品フィルム撮影した写真だけで創りたいので、
何日も暗室にこもってプリントして、、、、
そして、
それにつける文章を書いたりして、、、

はー!

想像するだけでワクワクしてきます☆☆☆

皆さんは、考えるだけで心がときめいてしまうことって、ありますか?
人生でそれを見つけることができたならとっても素晴らしいですよね?
もうそれだけでいいんじゃないかしら?
今まだ探してる最中とか、全然みつからないという人もいるかもしれないけれど、
そういう人はどんどんいろいろ実際にやってみるといいかな?と思います。
どうせならこれまでやったことないことや行ったことない場所へ行くこと、
嫌いだったものをちょっとだけ無理して食べるとか、
この人生で「それないわ〜」と思い続け避けてきたものにあえてトライしてみるとか。
結局ね、同じことやり続けていても、同じ結果しか生まれないと思うのです。
人生に変化を起こすって、つまり道を変えるってことだから。
同じ道を歩き続けても同じ景色しか見えないでしょ。
ぜひ思い切って、違う道を選んでみてください。
それはね、実際に、違う道を歩くということからスタートできますよ。
例えば毎日会社へ行く時に使っている道を変えるとか。そういうこと。
物理的にそれが簡単でしょ?
それからだんだん、食べるものを変えていくとか着る服を変えるとか。
これは単に新しく買い替えるというだけではなく、好みも変えちゃう。
ぜひ「それないわ〜」にチャレンジしてみてください☆

さて、あなたの人生、どうなるでしょう?

(きっと新しい扉が開くと思います!^^)

Mon 8th, Aug 2016

「コントラスト」

私が昔OLをしていた時のこと。
あの恐ろしい地下鉄の事件がありました。
その日私は、
いつものように怠け心の表れで寝坊していました。
なんとか頑張れば会社に間に合うような時間でしたが、
全く急ぐ気なし。休む気満々。
テレビをつけて(OL時代はミーハーなテレビっ子だった)、
朝ごはんを食べながら見ていたら、
そのうち事件の模様が映し出され、
あれれ?世間は大変なことになってるな、、、と。
じーっと見ていたら、すっかり会社が始まってる時間。
「すみませーん、事件で電車が止まってるので」と休む電話をしたら、
「時間、おかしいだろ、事件前に会社着いててもいいだろ?」
と課長に笑われたのですが、
もう今日は来なくていいよと言われたので、
その日は一日中、家でテレビを見てました。

もし、私が真面目なOLだとしたら、
もう今頃この世にはいなかったと思います。
なぜなら、
被害が一番ひどかった路線の、あの時刻のあの車両は、
私がいつも通勤で乗っている電車だったからです。
「いけない!寝坊した!」と飛び起きて、
慌てて支度していつもの電車に飛び乗ったら、
それは、死への旅の始まりとなったでしょう。

だからといって、私は皆さんに、
「怠けなさい、サボりなさい」と薦めているわけではなく、
人生、時には、
真面目に不真面目な道を歩いてみることもあっていいんじゃないかしら?
ということを伝えたいだけなのです。
きちんとしているだけでは見えない世界がある。
きちんとしているのが好きな人はいいんです、もちろん!そのままで。
でもあの時の私のように、
(どうにも真面目になれない)自分のほんとうに従って生きる時、
それが世間的に見て感心できないようなことだとしても、
その態度が、
我が身を助けることに繋がるということもあるから。
人間界の道徳だけで、すべてを決めつけなくていい。
無理に他の人の考えに合わせなくてもいい。

私は、
怠けた根性のままOLを10年やったけれど、
あの世界は保証もあって、
(よほどのことがない限り毎月お給料もらってボーナスも出る)
会社に守られていて、ある意味、楽な世界だったなあと思います。
写真家になって20年経つけれど、ここは保証の全くない世界。
おまけに、ちょっとの失敗が、すぐ致命的なことになる。
守ってくれる人はいないから、
すべて自分一人で責任を負わなければならない。

それでも、
私はここに辿り着けて良かったなあと、心から思います。
毎日大変でも、とっても楽しい。
自分には合ってる世界だと感じます。
OLと写真家。
両方を見ることで「選ぶ」という生き方もできたしね。
現在こうしていられるのも、
あの頃の私がダメ人間だったおかげ。
ダメな私が、ここまで運んでくれた。
過去のダメな自分に感謝しています!


今はね、
寝坊はしないし、ずる休みもしない。
ここまで来てようやく「あれはダメでしょー」と気づけたから。
現在の苦しくも楽しい世界が教えてくれたから。

でも、
シャッターを切る、その一瞬のためにいつでも力を溜めておきたいので、
だいたいのことは今でも怠けています。
だってねー、無理でしょう!
すべてを完璧にやろうとするなんて。
(そんなの人間じゃないよ)
私の場合は極端だと思うけど、
10個あるうち9個怠ける人は残り1個で10個分輝く!と思っています。
精神力も体力も、いざという時のために、
パワーコントロールしていくことが大切。
ここでエネルギーの全てを消費していいものかどうか。
あとどのくらいでチャージするべきかを見極めるなど。

私にとって一番大切なことはシャッターチャンスだから。
1個を10個分輝かせるために、たくさん怠けながら生きています。^^

私のまわりを見ていても、頑張る人ほど、お休み上手。

この世界の法則は、隠&陽。
コントラストが高いほど、きっと美しい。

おもしろいはずだから。

Sun 7th, Aug 2016

「冷たい人」

ある物事を眺めた時、
善いとかとか悪いとかですべてを決めてしまうことは難しい。
なぜなら、どんなことの中にも、
善いことと悪いことの両方が内在しているから。
ある角度からは善い側面が見えても、
また別の角度からは悪い側面が見えてしまったり。
つまり、出来事そのものには、善いも悪いもないということ。
自分のいる位置からどっちを見たいかということだけ。
見えている世界を変えるには、まず自分の内側を変えること。
自分の心を動かしていくことでしか、
世界を変えてゆく方法はないだろう。

先日の個展で、
初日の前日、搬入時に来てしまった人がいました。
正直、私はとても困ってしまったのですが。。。
というのも、
私にとって個展の搬入は、
単なる会場への荷物の運び込み作業ではないからです。
あの小屋は、
大人が三人も入ったら満員になってしまうようなとても小さな場所だけれど、
私にとっては聖なる領域。
天使との共同作業でひとつの世界を作り上げてゆく、
とても大切な場所なのです。

小屋へ到着すると、毎回、
深呼吸して、短い瞑想とお祈りをします。
それから、先に送った荷物(作品や展示小物)たちが、
壊れていないか点検し、無事に到着したことに感謝します。
その後、
どこに誰が座りたいか、作品たちにひとつずつ尋ねる作業に入ります。
この時、私は一種のトランス状態になっていると思います。
どんどん勝手に手が作品を持って棚の方へ動いて行きます。

そんな時、、、、

ふと、ドアの向こうに手を振る無邪気な笑顔を発見。
びっくりしすぎて、心臓が止まりそうになりました!
作業の手を止めて、なんとか心を落ち着かせ、ドアを開け、
「まだ終わってないし、個展は明日からです、、、」
と伝えてはみたものの、
「はい、何か食べてからまた戻ってきます」
という返答に、ため息が出ました。

戻ってくる。。。。

その時、私はどうしたらいいだろう?

考えると苦しくなるので、
私はまた作業に戻り、
とにかく作品の展示位置を決めることに集中しました。

ようやく終わった後は、
プライス表の作成や小物類の飾り付けです。

ふと目の端に、人が動く影。。。

ああ、戻ってきたんだ。

私の心はまた落ち着かなくなってしまいました。
なんとか手元に集中しようとするのですが、
最初はうまくいきませんでした。
なんといっても、小屋の中と外。距離はすぐ近く。
でも、
これもまた魔法修行と思って、
ぐっと自分の内側に入り込むと、うまくいきました。
どんどん作業が捗って、後少しで終わりそう、
という時に、ドアをノックする音が。。。。

ああ、ついに来た、この時が。。。。

「この時」とは、
私のハートが氷のように冷たくなる瞬間のこと。

まだでしょうか、、、と言われたので、
まだも何も、今日あなたがこの小屋に入れる時間は、
1秒もないですよ、とお伝えしました。
まさかこんな言葉そのままでは言いませんでしたが、
言ってる内容はこういうことでした。
そして、発する言葉と同時に、
私の瞳の色もそういうことを伝えていたと思います。
相手のハッとする表情を見て、それがわかりました。

「すみません」

と言い残し、その人は帰って行き、、、

そのあと、私はしばらく小屋の中で泣きました。
わざわざ遠くから新幹線に乗って来てくれたのです。
長く、私の活動を応援してくれている人です。
「ありがとう!特別にどうぞ!」と、
笑顔で招き入れるべきだったのではないかしら?
私は間違っていたかしら?
私は自己中心的でわがままなのかしら?
いろんな思いが心の中に浮かんでは消えて行きました。

それでも、

最後に残ったのは、
「これでいいんだ」という気持ちでした。

私はこれでいい。 これでいこう。
もし嫌われることがあっても。
応援してくれる人がここでひとり消えてしまうとしても。
私は私だ。

初日に、一番乗りを楽しみにしている人もいる。
結界を張って展示作業をしている場所に他者を入れてしまうのは、
私の譲れない世界に異質なものを入れてしまうことになる。
境界線が脅かされてしまうと、
もうそれは純粋な私の世界ではなくなってしまう。
そのことを、もし、
理解できない、大袈裟だという人がいるとしたら、
その人とはもう合わないだろう。
我慢して付き合い続けることもない。

この先には、ますますの孤独が待っているかもしれないけれど、
やっぱりこのまま行こう。
こうして私はOLの頃からやってきたんだもの、
なんとかここまで。

私は、私を守る。自分の世界を守り続ける。
だからあの写真が撮れるんだもの。
だからあの人形たちが生まれるんだもの。
だから天使の声が聴こえるんだもの。。。

ここまで自分の思いがたどり着いた時、
私の涙はもう乾いていました。
そして、くるりと見渡せば、
小屋の中に誕生しているワンダーランド!
翌日からの個展がとても楽しみになってきました。^^

さて、この個展フライングちゃん。(←あの人にこんなあだ名をつけてみた!)
その後どうなったかというと、
あれからすぐに「お詫びのメール」なるものが届きました。
そして、
先日のまほうshopで、見事、
ひとつだけ残っていたアンクレットを手に入れたのです。

私は胸が熱くなり、また泣いてしまいました。
今度の涙は、苦悩の涙ではなく、喜びと感激の涙です。

天使は、見放さなかったのです、私たちを。

私の冷たい決意も。

あの人の無垢な間違いも。

すべて大きく包み込んでくれたのでした。

☆先日のまほうshopでの不思議な出来事はこちらをクリック☆
↓ ↓ ↓
http://www.ichigo-natsuno.com/essayDetail.php?Merci-beaucoup-ferme-8-5-530

Sun 7th, Aug 2016

「魔法の呪文の唱え方」

魔法の呪文といっても、今日お伝えしたいことは、
魔法使いが使う特別な呪文のお話ではありません。
ごく日常的に、私たちが使っている言葉のことです。

言葉は呪文です。魔法の呪文。

なぜなら、
その言葉を聞いた瞬間、心が動いた、
というようなことはありませんか?
その言葉に傷ついた、というようなことは?
たった一言で、
天にも舞い上がるほどの喜びを感じたことは?

言葉こそ、誰もが使える魔法の呪文なんです。

ですから、
使い方を慎重に選ばなくてはなりません。
(なんといっても魔法なんですから!)

正しい呪文の唱え方としては、
まず自分自身に対して誠実であること。
思ってもいないことを口に出したりしないよう、
注意を払ってください。
「嘘」というものは他人につくことは簡単なんです。
(良心の呵責に負けなければ)
でも、
自分につくことは難しい、、、というか、
できないんです。
上手に騙したようにみえても、
後から人生のお釣りが返ってきちゃう。
心に背いて、いい加減な言葉ばかり使っていたら、
「あれっ?いつの間にこんな場所まで?」と、
全く望んでいないところへ運ばれてしまうかもしれません。
私たちの命は有限なので、
引き返す時間はもうなくなってしまっているかもしれません。
そんな恐ろしいことになるくらいなら、
正しい呪文を使いながら生きていくと、自分に誓うことです。
自分に対して嘘をつくことはできないんだということを、
しっかり肝に銘じてください。
いつでも自分には正直でいること。

他人に対しては、
「嘘も方便」ということわざの教えもありますから、
悪意のないものなら時々は仕方ないかもしれません。
それでもなるべくなら嘘は避けた方が好ましいので、
もし、
どうしても嘘をつかなければいけない場面に遭遇したら、
黙っていること!
そんな時は一言も発してはなりません。
嘘は、呪いの呪文になってしまうから。
他人にも自分にも、
かけてはいけないものなのです。

黙り込むことでさらに状況が悪化してしまうようならば、
やはり正直に唱えましょう、
勇気を持って。
魔法の呪文を!

Sun 7th, Aug 2016

「天使への伝言」

私たちが「天使」と呼ぶなにか。
その正体はいったいなんでしょう?
たとえわからなくても、
私は「天使」の働きを信じています。
宗教のことも何もわからないけれど、
宇宙への畏敬の念と、
信仰心は持っています。

願いごとは、
胸に秘めていないで、
そっと天使に伝えましょう。
小さな声でも届くから。

最初から大きな願いに向かってゆくと、
失敗した時のことを心配しすぎてしまい、
恐れが邪魔をするかもしれません。
小さなことから大きなことへ、
易しいことから難しいことへ、
挑戦してみてください。
小さな失敗、小さな成功を繰り返しながら、
ゆっくりと自分の未来を信頼できるように。

天使への伝え方はふたつあります。

ひとつは手紙を書く方法。
天使に手紙を書いたことはありますか?
私はいつも新月の晩、天使に手紙を書きます。
願いごとや、近況報告など。
親しい友達に宛てるようにいろんなことを書きます。
書いているうちに、ふと自分で驚くこともあります。

あら?
こんなこと思ってたんだ?
こんなふうに感じてたのか?

自分の手を使って、文字を生む行為は、
とてもパワフルなことです。
書くということは、
無意識の世界から意識できる世界まで、
見えない世界から見える世界まで、
自分の奥深くに眠っている想いを連れてくる儀式なのです。
想いを視覚化できれば、心を整理することができます。
心が整うことで、
実生活のどこにフォーカスするべきか、次第にわかってきます。
一点集中してゆくことで、変化の速度は増してゆき、
願望実現までまっしぐらです。
(天使にも、よりわかりやすく伝わるからです!)

もうひとつの伝え方は、
「声に出す」という方法。
魔法の呪文や真言を唱えるなどの方法と同じです。
発声することにより、宇宙は振動します。
どんな小さな声だとしても、
遥か彼方まで、それは影響してゆきます。
喋ったり歌ったりすることはとても神秘的なこと。
会話や歌唱は、祈りのひとつの形なのです。

もし、たったひとりの部屋で、
それが行われたとしても、
天使たちは聴いています。
それと、もうひとりのあなたも、また。

願いを発声すれば、あなたの耳が共に働き、
願いを書けば、あなたの目が共に働きます。
天使と一緒に、聴いています。見ています。

それを叶えるために。

Sun 7th, Aug 2016